ひと、との共感

自然と友達になれない、生きている実感の得にくい
今の社会にも、例外はあります
自然の一部である、ひと、との共感です
僕の友人知人やネット上でつき合いのあるひと達が
新潟県中越地震によって被害に遭われた方々へのメッセージや
その義援金について、ブログ上などで書かれています
こういった、なんの義務も、見返りもない
ただすんなりと、ただうごく、ということに
また、そこへ向かっていく気持ちのありかたに
僕は、なにか熱いものを感じずにはいられません
いわゆるN,Yでの9,11が起きたとき、ブログによって
米国全土が瞬く間に議論や意見交換がなされたように
日本でもこういう災害のときこそブログ上の書き込みよって
情報やあらゆる共感を得て、あまり感心の無いひと達をも
きもち的に巻き込むような、それが結果的に被害に
遭ってしまった方々への援助の貢献になるのなら
間違いなく素晴らしいことになるのです
電気もガスも住むところもない辛さは当人でないとわかりません
「ひとは援助があると信じる限りは持ちこたえられるが
孤立感にとらわれると、驚くほど早く力尽きてしまう」そうです
そうは、させません
今の僕らは、こうやってネットの出来る環境にいます
少なくとも、僕とあなたには帰るところが確実にあるのです
幸いにも日本のほとんどの地域で手をさしのべる環境は整っています
あとは、する、だけです
「しない善より、する偽善」チカラのある言葉だなぁ、ボゥトさん