2013.04.12

NanoCafeスタート

長い間利用していなかった当スペースがもったいないと考えていた。ちょうどここのところ資産に対するナノキャリア株式の割合が増えてきたこともあり、アベノミクスにおける国策企業の中心といっても過言ではない有望なこのナノ社の軌跡を個人的なメモ的覚え書きとして記録していこう。

先ずはガンと闘っているすべての人たちへ。それからナノキャリア社を支える人たちへ。そしてナノ社の理念に共感しそのサムシングを信じて投資するクールでクレバーなるホットでアホルダーな仲間たちへ。ここまでは知性ある建前。はたしてソフトバンクやヤフー等と同様の夢株なのか?ひとつの大きな節目として1000万円を無理やり期待しどこまで到達出来るのかその期待感のみをエネルギーとしてこのナノカフェを続けて行きたいw 


北朝鮮を気にしつつの週末、本日の終値は前日比-1000円の352000円出来高も6894株と少なく大きな動きなし。前々日の終値が377500円だったが月末に向け徐々に切り上げていく為のほどよいひざ曲げとみる。

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2010.09.24

燃費6

8.2826086956521739130434782608696km/ℓ

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2010.08.20

燃費5

8.5128205128205128205128205128205km/ℓ

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2010.07.16

燃費4

8.6052631578947368421052631578947km/ℓ

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2010.06.04

燃費3

9.5348837209302325581395348837209km/ℓ

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2010.04.16

燃費2

8.8636363636363636363636363636364km/ℓ

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2010.03.05

燃費

1994_rs_limited
by LOMO LC-A


8.5416666666666666666666666666667km/ℓ

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2009.11.09

ミニキャブバンにCD125T

Cd125t_2


ミニキャブバン(U61V)ロールーフにCD125T(ノーマル)を搭載する

ミラーを外した正立状態ではグリップ部で10センチほど余裕あり
搭載向きが荷室と平行だとリアフェンダー後端がリアゲートに接触
サイドスタンドで三点支持にすると、右グリップ部がルーフに接触
搭載時グリップと車体ルーフフレームに手を挟まれない様に注意
運搬時の揺れ等によるルーフ部のある程度のキズを想定内として
ナナメ積みの三点支持にてCD125Tをふつうに問題なく搭載可能
 
 
 
 

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2009.01.10

利休の語

20090110_2

 
 
 
 


千の利休が語に、客亭主たがひの心にかなふはよし

協ひたがるはあし、又寂たるはよし、寂させたるはあしゝ、

風流ならざるところ却って風流、求めて風流なるは

風流ならざるなりとあるは、さすがに一道の宗匠ほどありて

面白き言といふべし。

幸田露伴 
 

(´ρ`)ぽか~ん

なるほど僕は一生、風流とは無縁かもしれない

┐(´-`)┌

 
 
 
 
 
 

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2009.01.08

天照坐皇大御神

 

20090108

 
 
 

春くれば ふりつむ

   雪も とけぬべし

 しばし 時まて

     山の うぐいす


 

                意富比神社 
 
 

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2008.10.26

バビブレボケ

五十音のあかさたな、の次にくる「は行」というのは、オモシロイ
どこか気が抜けつつ「はひふへほ」、濁音ほとばしる「ばびぶべぼ」
さらに唯一の半濁音に至っては「ぱぴぷぺぽ」をも産みだしている
角のとれた、柔らかな、浮遊感ある、可笑しさは誰もが認める所だ
などと、愚にもつかないことをワザワザ記す人は少ないだろうが
そういった描写をするカメラに魅せられる人達は本当にたくさんいる

Gb1300b
Gb1300
Gb1300a


写真↑はピンボケのうえにブレている、オマケに露出も冴えない
もうひとつオマケに構図も良くない、失敗作として、大変、素晴らしい
しかし、この写真をギリギリのところで見切りをつけられないのは
ロモブルーな色合いと「は行」的描写にホトホト唸ってしまうからだ
白状すれば、このLC-A のデザインはあまり好きではないけれど
MINITAR 1 f/2.8 32mmレンズには心酔し、溺れ、惚れ込んでいる

やっぱり、自転車はフレーム、バイクはエンジン、車は色気、女は愛嬌
とくれば、度胸があってもなくても男なら「カメラはレンズ」の興に乗りたい
 
 
 
 


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2008.10.12

Slide Way 

これまでのところ、もっとも楽しめるボードゲームは
個人的にはスコットランドヤードで決まりだろう
しかし、このゲームの醍醐味に浸るには麻雀と同様
人数と時間がどうしても必要になってしまう

では、キミと僕のふたりでするボードゲームはなにか?
先ずその格調の高さでバックギャモンが飛び抜けている
しかしある程度の頭脳とスキルと経験がやはり必要だった
それで2年程前に仕入れたゲームをふと思い出し初プレイした
 
 

Slide_way


そしてついに、ボードゲーム漁りの終焉がやってきた
これまでのスコットランドヤードやバックギャモンなどと
肩を並べるヤバイ面白さを持ちながら、至極シンプル
勝負はそれなりの思考とダイスの目にほぼ左右され
ものの10分もあれば、決着がついてしまうお手軽さ

このSlide Wayという木製ゲーム少々お値段張るけれど
一生モノのボードゲームには違いない、スライド・ウェイ
なんといっても、ウッディボードの質感と造形美が、◎
安ワイン飲みながらもいいかもね、『王様の涙』とか
 
対象年齢15才以上 
 
 

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2008.04.27

月日は百代の過客にして

行かふ年も又旅人也 、とはよくぞ言ったものだった

Tugaru



思えば月日に追いつ追われつ してきた、そういった感慨のなか
いま欲しいものは何かと訊かれたなら、答えは時間しかない
これまでも徹底的に、贅沢に、つまり自分勝手に過ごしてきた
だから時間には恵まれてきたはずだった、それでも時間がない
あとどれだけのセカイと邂逅できるのか、なんとも時間がない

おくのほそ道は冒頭の数行だけで充分腹にこたえるものがある
その後の名句すら霞む、いやむしろ、名句が控えているからこそ
などと徒然想っていたら、いつの間にか、その過客となっていた
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

路上に生涯をうかべ、鉄馬の口とらへて老をむかふる物は、
日々旅にして旅を栖とす 古人も多く旅に死せるあり
自分もいづれの年よりか、坂の上の雲の風にさそはれて、
漂泊の思ひやまず、海浜に流木拾ひ集めて、去年の秋
船橋の家屋に古本をはらひて、やがて年も暮れて、春になった

ふと霞の空に東北の櫻でも観ようなどと思ったら、もういけない
とたんにそぞろ神がのりうつり、おまけに道祖神の手招きもあり、
とる物も手に付かず、スイッチ・オン そんな理由で休みをつくり、
Digital audio playerのファイルを入れかえて、旅支度をはじめる

芭蕉曰く「松島の月先心にかゝりて」だが、僕はどこか風雅な
響きある平泉の地が先ず気にかかり、名月の方は後日に譲り、
弘前城の櫻に焦点をあて、目指す地は津軽と決めた、その折に

ほそ道も 衣も夢も 陸奥越えむ   

と発句を詠み、芭蕉が詩仙李白から換骨奪胎し巧に醗酵?させた
おくのほそ道への讃歌のようなものとして、ここにパロって記した
偶然にも、中尊寺へ訪れた日は西行祭短歌大会という催しあるも
露知らず、古雅な空間に触れて、計らずもハクタイのカカクとなった

Tyuusonji_hondou
中尊寺本堂

 
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也 、云々」とは
本当に、よくぞ言ったものだった、光と陰がこころを透り抜けてゆく
凛とした響きとその調子がある、そしてどこか清清しい気持ちになる
さすが俳聖、芭蕉はことばの人だった、越えている、ときを越えている
声に出して詠むと、 よりワカる
 

 
 
 
 

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2008.01.15

ホーン1

はじめて883を操ったとき、思わず出たことばが「うわッハーレーだ」だった

この883を選び乗り続けているひとつの理由として『ハーレー』というのがある
もちろん『ハーレー』といっても、いわゆるブランドとしての『ハーレー』じゃない
そういったものを遥か彼方へ置き去りにしつつHarley-Davidsonの精神とも
言える息づかいが、最も小さいこの883にまで貫かれ確実に体感できるからだ
これさえあるなら、250、350cc程度の排気量でも僕にとってはもう充分だろう
 
 


335hz


しかし哀しいかな、この純正ホーンはいただけない、マッタクいただけない
普段は使用しないが、礼儀もしくは知性の表れ、として鳴らすときがある
そんなときに、コストダウンの、犠牲の、不快な、余裕のない、つまらない
寒々しい、貧しい、それこそ「素寒貧」な音を鳴らすのは、できれば避けたい

 
 
 

Estrella_horn

幸いなことに、あるオートバイのホーンを知っていて、その音色が良かった
友人が乗っていたカワサキのエストレアのホーンだ、比較的高音だけども
柔らかく「プわ~っ」と鳴る、利益追求が徹底している日本車の、それも
オートバイ用のホーンとしては、突き抜けて魅力的な音色にはちがいない
どうやら珍しくもエストレヤ専用設計のようで分解してみると、さすがというか
やはりカワサキ重工、お膝元NIKKO社製(神戸のメーカー)のホーンだった

で、それを装着、純正を外してエストホーンに付け替えるだけで素人でもOK

※コストダウンにより現行エストレヤのホーンは「素寒貧」な音です
 
 
 

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2008.01.14

松林図屏風

Hasegawatouhaku

  
 


感銘を受けた、いややられた、ホントに久しぶりに、やられてしまった
日本水墨画の最高傑作と言われている長谷川等伯の『松林図屏風
国立美術館の本館2階にあるその国宝室に足を踏み入れた瞬間
彼の創りあげた世界観に、すーっと、たちまち吸い寄せられてしまった
ガラスの内側の屏風の向こう側に奥行きと広がりのある空間を感じさせ
ふいにそこへ入り込んでしまったような湿度とその質量をも感じさせた
胸の透くような「空間」この作品を観た大概の人はそれを体感できる

水墨画は無彩色の世界だから彩度は無い、デジタル的に言うならば
彩度ゼロのブラック&ホワイトの世界だ、あるのは明るさの明度だけだ
逸る気持ちで鼻の先をガラスにくっつくぐらいに近づいて観てみると
描かれている松の最も濃い部分などは「バッバッバッ」と威勢良く筆が
あてられ、ひと息で大胆な筆使いというよりも大雑把な印象すら受ける
それが全体を眺めるとなると、肌理の細やかな映像へ様変わりする
リアルな光景の様な、心なしか風が流れている様な、それ故風流な
もはや彩度ゼロとは思えない、有彩色の清涼なる空間が拡がってくる

ここで唐突にMiles Davisの話を持ち出す
彼の人となりを色で表すなら、極彩色といっても間違いではないだろう
しかし彼の紡ぎ出す音はどこかモノトーンのモノクロな音に違いなかった
その旋律に余計なものは一切無かった、どころか、彼は吹かなかった
意識して、奏でるべき音を出さなかった、吹かない、という創造だった
すべてをカタチにせず、結果そのイメージはそれ以上のものを表現した
これがむずかしい、つまり引き算だ、大概は出来損ないになってしまう

引き算と言えば、ちょうど今興味がある人物に青山二郎という人がいる
資産家で、骨董蒐集家で、装丁家で、隠れ批評家のような、実際何を
やっていたのかよくわからない、まぁそんな感じの、そういったような人だ
彼は「いちばん言いたい事は文章にしてはいけない」とまで言った人だ
含みを持たせ相手の想像力やそれらイメージに任せろ、と言った人だ
青山二郎の遺した言葉には深淵から一気に刺し貫いてくるものが多い
それで青山二郎とくれば、小林秀雄が出てくる決まりになっているようだ
「結論は書いてみなくては判らない、判っていることは書く必要がない」
なんていうことを小林秀雄もクールに喝破していた

うんざりするほど心憎い流石は小林秀雄だ無常ということだ考えるヒントだ
まったく、書かなければ判らない、ときには、書いて判ることが確実にある
松林図屏風の、いったい何が、どう素晴らしいのか、どこに惹かれるのか
ここまで読んでくれた人にはなかば無駄足のようになってしまったけれど
思いつきとりとめもなくつらつらと、の上記文章ではそれこそ出来損ないだ
僕はMiles Davisでもないし、もちろん青山二郎クラスの足もとにも及ばない
だから松林図屏風について、今いちばん言いたいことをはっきりさせておく
機会があるなら、ぜひとも接して欲しい、死ぬ間際でもいいはずだ

その「余韻」こそ、松林図屏風の醍醐味だからだ

四百年前の水墨画が、認知され注目され賞賛され続け、良くも悪くも
日本国の宝にまで登りつめたという事実は、等伯の極みに違いないが
何百年前だろうが何千年前だろうが、現在もこれからも、どんなに時が
経っても人間が存在している限り、求めるもののその本質は変らないし
またそれらを求め続けていくものだ、と今あらためてつよく実感している
くり返す様だが、ではその本質とは何なのか?その核心とは何なのか?
ようするにそれは「余韻」を産み出すものではないだろうか、美の神とは
「余韻」そのものでもある「美は余韻なり」と今の僕は言い切っておきたい

「美はただ乱調に在る。諧調は偽りである。真はただ乱調に在る」
と大杉栄が遺し、瀬戸内晴美(寂聴)が簡潔「美は乱調にあり」とした
この言葉に思いのほか巻き込まれていたのは、何を隠そう自分だった
「美は乱調にあり」なんど見てもなんど詠んでも、その度にゾクゾクする
とかく日本の美しさは乱によって芽吹き、乱によって育まれた節がある
西行の歌、狩野派の絵画、観阿弥世阿弥の能、千利休の茶の湯
これら日本を代表する美の傍らには絶えず文字通りの「乱」があった
「乱」とは、破であり壊であり、詰まるところありったけの引き算でもあり
ただただ、わからないものでもある、そのときその渦中では命がけの
命がけ故の余計なものの削ぎ落とされた、それこそ研ぎ澄まされた
インプロビゼーションの中で新たな「美」の創造を引き起こすのだろう

氷が水となりやがて蒸発する様に「美」が「乱」なればまた「余韻」もある
全くの見当違いで誰も言わないか、もうすでに誰かが言っているのか
気にはしないが「美は余韻なり」とこれからは口癖になるかもしれない

「美しい花がある。花の美しさといふものはない」

言わずと知れた『当麻』での小林秀雄の言葉を失うほどの大名句だ
事実はじめてこの言葉に接したとき、ドカーンと真っ白になってしまった
まさに「余韻」ある、なんという力強くも美しいワン・センテンスだろうか
試しに「美しい花」と「花の美しさ」とはそれぞれ何か思い浮かべてみる
それこそ勝手な解釈と言われるかも知れないが、嬉しくも心強いことに
この大名句こそ、美とは「余韻」でもあることを証明し支えてくれている

接した傍から忘れてしまうような「余韻」の無いものに「美しさ」は無い

 
 
 


 
 

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2008.01.10

人の行く裏に道あり花の山

20080107_2
 
 
 
 

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2007.12.21

IRC RS-310

しかしこの1993年型の883は壊れない・・もちろん故障を望んでいる訳ではない
まあ、そこそこのトラブルがあることはあったが、所有以前のイメージを思い出し
これまでのハーレー・ダヴィッドソンの歴史を考慮しつつ、通勤快速兼日常の
足としていい加減、且つかなり荒い乗り方にも拘らず充分に楽しませてくれる
充分実用に耐えうる、なかなか良く出来たMade in America.だと僕は思う

それでトラブルも無く特別更新もせず呑気にかまけていて、このままうっかり
忘れるところだった、リア・タイヤを交換した、と書いている今は一月の終わりだ
これまで装着していたK127のライフは5000kmだった、K127の位置づけと
その特性からいって5000kmは短い、グリップ力が明らかに優っている
BT45と同じ距離しか持たないということはどういうことか、K127も飽きた

Rs310

ということで、性能はうやむやにしてロングライフの定評あるIRCに決めた
今回は日本メーカーの純正タイヤとして意外に履かれているRS-310だ
IRCの能書きには「20年以上の長きに渡ってライダーに愛され続ける
超ロングセラータイヤ」とある、ホンダCB400SSの純正装着品だそうだ
サイズは130/80-18を選択した、K127と同じトレッド幅130の規格で
カタログデータでは129mmとなっている、しかし装着するとK127よりも
1cm以上は確実に細く感じられ扁平率90から80への変更もあり
見た目がかなり貧弱になった、という第一印象だった

Rs310z

実際に走ってみると、見た目通りの軽やかさで切返しやコーナーが
K127に比べ驚くほどスムースになっている、乗り心地もよくなっているが
新品タイヤへ変更後は大概そう感じてしまうものだからあまり当てにならない
先ずは恒例の40~50㌔からのフルロックテスト・・・「音が鳴る」
K127では路面上を滑っていくような感じでタイヤを鳴らすことは至難だったが
RS-310はもうスゴイ音で鳴く、その鳴いている分だけ、K127よりは確実に
タイヤがグリップしている感じだ、もちろんその接地感もあり、IRCタイヤは
これまで一度も履かなかったが、このRS-310はひょっとしてひょっとすると
なかなか良いタイヤじゃないか、と最近は乗るたびに思っている
BT45やTT100クラスで迷っている人にも選択肢に入るべきタイヤだ
あとは、もち、がどのくらいかだ、自分の場合すべてそこに懸かっている

883に乗り始めて、このタイヤで5本目になる、タイヤを履きつぶすごとに
オンボロスポーツスターへの愛着が一段と増していく

でも見た目重視でいくなら、重厚感あるK127にはやはり惹かれる↓

K127lastday_3

21150km

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2007.10.26

月を 想うなら

Waiting_for








「面影の 忘らるまじき 別れかな 名残を人の 月にとどめて」

                                  師 西行

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2007.10.05

風に吹かれて

Outdoor_cafe

 
 

「もっともたいせつなものは、ひととのかんけい」

と『星の王子さま』のサン=テグジュペリはどこかで書いていた
ごく当然だけれど、まさに「大切なものは、目に見えない」のだ

信州のキャンプ場にて、風に吹かれ、飲んだ珈琲をふと思い出す
友人が焙煎されたばかりの珈琲豆を用意してその場で挽いてくれた
最低限の器具ゆえ、おそらくあの豆なら通常はより上質に違いない
しかし風に吹かれて飲む珈琲の「質の違う」あの美味しさは何だ?
「その答えは、風の中さ」とボブ・ディランならキメるところだろう

それにしても、ここで思うのはTriumph乗りでもある友人S氏だ
キャンプする皆のために焙煎されたばかりの珈琲豆を用意する
ちょっとしたことと言えばちょっとしたことだけど、これが難しい
見返りも何も求めないさりげないボブ・ディラン級の「もてなし」

自分の時の流れを思うとき、そんな友人の存在はきわめて大きい
「お互い一緒に楽しもうぜ」という無償的な「もてなし」はやがて
ボディブローのように、じわじわひしひし、と確実に効いてくる
それはいったいどういうことか?自分の「何が」「どう」なるのか?
・・ありがたい・・感謝の気持ちのようなものが、生まれ育ってくる
その場では面と向かって本人へ直接的に言うことはないけれど
過ぎ去ったその情景をつらつらと、ふいに思い返す自分がいる

「もてなしてやろう」あるいは「もてなして欲しい」と言う訳ではない
そういったところを超えた自然な気持ちのあり方、状態

さすが英国車乗りクラスは違うね
 
 
 

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2007.09.29

ショートケーキの食べ方

Strawberry_on_the_shortcakeand_you


 
ひとつのショートケーキを
不特定多数の人が出入りする場所で、なかば隠れながら食べた
そうするつもりはなかった、けれど状況、に思わず巻き込まれた
おもむろに素手で掴みつつ、唐突に誰かに見付からないように
周囲を気にしつつ気にしつつ慌ててショートケーキにかぶりつき
口のまわりにクリームを付けている、ふたりのいいオトナだった

こんな緊急時、その愛嬌を美しく発揮する女性は有利に違いない
誰かに見られても、ただにっこりすれば、たちまちの魅力的解決
などとどうでもいいことを彼方で意識しつつ、とにかく詰込み食べる
しかし、じつは、これが、意外と、思いのほか、タイヘン、だった

ひとつのショートケーキをこそこそと慌て隠れ小さくなって食べることの
なんという大変さ、味気無さだろうか、ふつうにケーキフォークを使い
くつろぎながら食べるケーキなら、ほんのあっという間のぺロリだろう
そんな、あっという間の、その間の中に確かな満足感があったりする

人生の物事のほとんどはこのショートケーキの食べ方のようなものだ
とお互い頷き合う、かすかなハニカミからどうにも抑えきれない笑いへ
ホントのところ、この笑いが食べることを ことのほか難しくさせていた
そしてこの笑いこそ、僕らの呆れた行為の理由と意味と免罪符だった

人生はショートケーキの食べ方だ 
 
 
 

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2007.09.17

トリップするカメラ

Xlh883touring

Vivitar Ultra Wide&Slim Photographed by S.S

トリップするカメラ 
 
 

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トリップするカメラ

Xlh883touringblog

Vivitar Ultra Wide&Slim Photographed by S.S 
 
 

ホントに久しぶりのキャンプツーリングでのひとコマ
場所は信州の八ヶ岳、野辺山にほど近い川上村だ
オートバイで抜き去った僕を自転車のS氏が撮影した

カメラが好きで写真が好きだから、これまで色々とさんざん
撮ってきた、個人的にとくに興味深いシーンはなんといっても
圧倒的非日常の瞬間が垣間見えるオートバイ走行中のカットだ
こちらも走行しながらの撮影で、なにが、どう、撮れるのか
わからない面白さもある、ただ、どうも撮れていないことが多い
しかも、このような撮影は難儀なうえにやはり危険ともいえる
つまるところ、自分のオートバイ乗車中の写真は驚くほど少ない

不意にこんな写真が送られてきて、つい嬉しくなったけれども
こういった話はどうでもいい、本題はこの写真を撮影したカメラだ

Vivitar Ultra Wide&Slim

安さ、軽さ、チープさ、その描写、そして携帯性
それでいて、22mmの広角レンズが装着されている
まさに、トリップするカメラとしてタイヘンふさわしい
トリップするとは、そのまま旅の道連れ道具として
それと、その旅から帰ってきてのフィルム現像後だ
S氏から送られてきた数枚はどれもみなグッときた
記憶や思い出などと似たような懐かしい質感がある
いっぷくキメなくても、見るたびにトリップさせてくれる
品格あるトリップ感とそのシャープさはLC-Aよりも上質
とにかくデジタルのカメラでは、ますますムリな描写感だ

Vivitar_ultra_wideslim2


四スミケラレのトンネル効果っぽさ、強めのコントラスト
ある程度のボケ、超広角、それら絶妙の描写と色合いは
レニングラード光学機器LOMO LC-Aを彷彿とさせつつも
22mmでこの気軽さ気楽さの超携帯性はちょっと他にない
カメラのひとつの方向性として、忘れるくらいの携帯感は
かなり大切なことではないかと、よりいっそう強く思わせる
大概の人は、カメラが無ければ写真を撮ることはできない

クルマもバイクもカメラも「あ、そういえば、持っていたんだ」
くらいの意識のモノがホントはちょうどいいのかもしれない

バッテリーも電池も使用せず、エコ
トイカメラに嫌悪感がない人にはかなりオススメ

Vivitar_ultra_wideslim


All Photographed by S.S画質はすべてそのまま
Vivitar Ultra Wide&Slim

サイズ:W100×H58×D26mm
重量:約75g
レンズ : 22mm プラスチックレンズ
シャッタースピード : 不明:単速
フォーカス設定:1.5m~∞
使用するフィルム : 135(35mm)フィルム
フィルム送り: 手巻き
フィルムカウンター : あり
 
 
 

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2007.09.01

想うなら、月

Moonbeams

 
 

「みな人の知り顔にして知らぬかなかならず死ぬるならひありとは」

「蓬生にいつか置くべき露の身はけふの夕暮あすの曙 」

「我もいつぞあらましかばと見し人を偲ぶとすればいとど添ひゆく」

慈円


「ゆくへなく月に心のすみすみて 果てはいかにかならんとすらん」

西行


「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかやあかあか あかあかや月」

明恵
 
 
 
 

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2007.08.24

ヤマハシグナス180

あやしいバイクを駆る人のもう一台とはどんなマシーンか、興味がある
実用性に乏しいバイクに乗る人は、罪滅ぼし、というか、保険というか
そんな感じのもう一台を所持する人も多いかと思う、ふつうはここで
実用性を重視して選ぶことが、賢明であってそれが理性というものだ
しかし、いつもいつもこういった選択をするとはどういうことだろう

Sygnus180a

883以外にシグナス180というYAMAHAの旧いスクーターを所有している
ほぼ毎日バイクには乗っているけど、天候によってはシグナス180だ
ホンダのフリーウェイ250の2型かシグナス180で1ヶ月くらいは迷った
カタチでは断然シグナス180、ジツヨウでは断然フリーウェイ250になる
フリーウェイに決定直前、あるHPの文章を読んで最後の最後に覆った

このシグナス180に決めることとなったHPの文章をどんなに検索しても
見つからずLinkできないから偶然所持していたキャッシュから掲載
もし関係者の方がこちらを見られましたら、是非ともご連絡ください

_________________________________

「お前は車のことよう知っとるやろから聞くけど、長持ちする車てどんな車や?」
とよく聞かれる事があります。 お答えしましょう、壊れず長持ちする車は
壊れるところの無い車です。 世の中形ある物は必ず壊れて無くなります。
それは私もあなたも同じ。 では形あるものが少なければいいのです。

車として具体的に書きましょう。車は機械です、長く乗ってれば必ず壊れます。
あなたはどこが壊れたら手放しますか?エンジン?ボディー?
大体どちらかですね。 エンジンの基本的な構造は100年以上変わっていません。
でも最近のエンジンはごちゃごちゃいろんな物がついています。
大体この付いてる物が壊れます。

コンピューター?いらんいらん。電気仕掛けは一番に壊れて目の玉が
飛び出るくらいの修理代であなたは車を廃車にする事になります。
つまり、EFIとかEGIとかは駄目車です。(エレクトロリック・フューエル・インジェクション)
電子制御式燃料噴射装置と言います。コンピューターで制御しなくとも機械制御で十分。
どこかのバカ知事はこれが付いてる車しか走っちゃいかんと言っています。
皆さんがどんどん車を乗り換えれば税金ががっぽがっぽ入るのでしょう。
ごみもどんどん出ますけど・・

あと、ターボもいらんなー。これも壊れやすいし高いし、いいオイルを入れて
大切に飼わないといけない。オイル代もバカにならん長く乗るには金がかかる。

必ず10万キロになると交換しなくてはいけないものなーんだ?
少し車のこと知ってる人なら判りますね。中には10万キロになるとメーターに
仕込んだランプがついて、「ディーラーでタイミングベルト換えてウン万円払って下さい」
と車から催促するバカ車もある。そして10万キロ走ってないのにベルトが切れて
「買い替えてくださーい」と死んでしまう車もある。では付いてない車を買えば
交換しなくていいのだ。うちの車4台の中3台はベルトないもんね。
具体的にはDOHCとかOHCは駄目車、OHVがいいのだ、壊れない。
もう無いけどジムニ-のように2サイクルってのも正解。

そんな車あるの?ってな感じになってきたがもう一発!エンジン
エンジンは熱くなります、中で爆発がおこってるからですね。
それを冷やさないといけません。ラジエタ-です。水が入ってて、
水を風で冷やして冷まし、エンジンに入りエンジンの熱を奪います。
でもこれも壊れます。古くなると必ず水漏れがあります。ゴムホースが破れたり、
サーモスタットという水温安定器も壊れやすい。ラジエタ-が錆びて穴が空いたり、
そりゃ-水入ってら錆びるわな。 これがまた高い!穴空くころには車の価値より高いはず。
乗り換えー。 じゃあ無ければ壊れない。空気で冷やせばいいのだ。空冷、空冷、空冷。
水(LLC ロングライフク-ラント)を換えなくていいので余計な金は掛からない。
最近ないよなー、ポルシェはスポーツカーだから外して、ワーゲンと
シトロエン2CVぐらいかなー大衆車は・・なんで空冷にしないのかなー?
修理無いとディーラー困るわな、乗り換えてもくれないし。

その昔私は知りませんが、軽は皆空冷だったそうな。オヤジ乗ってたスバル360とか、
誰かが乗ってたパブリカも空冷だったはず・・どうして日本はこうなってしまったのか?
エンジンの話終わり-、簡単なのが壊れないし金も掛からんのだ。
だから、長く乗り続けれるのだ。

「空冷と単車バカ一代 Air-Cooled and Single 安く長く乗れる車」より
_________________________________


シグナス180よりも、SR乗りとかW650乗りなどの琴線に触れるのではないか
ホントに大きくうなづいてしまう文章だ、空冷エンジンは精神的にも良い
現在の技術力で、空冷のリッタークラスの魅力ある自動車は無理なのか
この文章の力強さにやられた僕はOHVエンジンのシグナス180を選択した
実際のところ、このOHVエンジンのトルク感にとても満足しているけれど
いろんな警告灯やらオートチョークやらエレクトリックな仕掛けがボディ内部に
いっぱい詰まっていて、ぜんぜんシンプルじゃない、一度も故障したことは
ないけど、いつかどこか壊れないかいつもヒヤヒヤしている

どこかのサイトの紹介記事にあった「意味不明にカッコいい」
このことばこそ、シグナス180の魅力をするどく端的に表している
先に販売されたあのベルーガ50や80のデザインを継承している
ということは、デザインを見比べてみれば誰でもすぐ理解できる
だから僕が思うに車名は「ベルーガ180」だって良かったのだ
いや、この車名にすれば販売台数だってもっといった・・かも

2005年の10月に所有してから、一度もシグナス180に出逢わない
もし対向車線でも見かけたら、Uターンして追っかけようかな
とまで思わせる、妖しいスクーター

 

 

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2007.08.15

日本人よ、日本に帰れ

Renippon

長崎県出身の防衛大臣だったエライ人が原爆投下について
「しょうがない」 と言ったことに対し、来日している中国人の
ふたりの友人が、凄まじい勢いで、いまだに、怒っている
さらにアメリカ国内でのより積極的な肯定意見に対しては
なぜ日本人はもっと怒らないのか、なぜ議論しないのかと・・
念のため、繰り返すと”中国人の彼らが言っているのです"

どうもこの話になると、核心のところで僕は立場がなかった
こんなことは馬鹿げている、まったく馬鹿げているけれど
常に気持ちのどこかに大日本帝國の陰があるようなのだ
日本の教育を受けた人のほとんどは潜在的に備わっている
日本人であればごく普通のコンプレックスなのかも知れない
あまりにもあたりまえ過ぎてその存在すら気付かないかも
これはもう教育による、ある種のマインドコントロールなのか

東京裁判におけるインド代表の判事だったパール氏の詳細を
つい先日はじめて僕は知った、ネットの素晴らしさのひとつだった
検索すればすぐに分かるからここで詳しくは載せないけれど、彼は
極東軍事裁判(東京裁判)で「連合国側は、日本大衆を心理的に
支配しようとしている」と批判し、判事の中でただひとり日本人戦犯
7人の全員無罪を主張した、後日来日したとき彼はこう言ったらしい

「勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるならそこには
正義も法律も真理もない。われわれは失われた法の真理を奪い
返さねばならぬ。今後も世界に戦争は絶えることはないだろう。
世界は国際的無法社会に突入する。これはニュルンベルクと東京
で開かれた連合国の国際法を無視した復しゅう裁判の結果である
ことを、われわれは忘れてはならない。日本は独立したといってい
るが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたけ
れば、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法
の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた
自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも
直っていない。日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい。」

なんという理性だろう、なんという大局観だろう
パール氏は戦後のたった数年間でこう言い切っていた、見破っていた
これこそ今の日本の現状だ、今後より重くなっていく言葉に違いない
ただ、彼のこのフェアな理性ある言葉に僕は全面的に賛成ではない
「勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるならそこには
正義も法律も」ないのは分る、しかし「真理もない」ということはない
この日本ではそういった中にこそ、真理を見出してきた厳しさがある

あっさりとひと言で言えば「勝てば官軍、負ければ賊軍」になるだろう
だからこそ出家する者は「あはれ」と言い、将軍は「あっぱれ」なのだ
実は「あはれ」も「あっぱれ」も本来の意味はまったく同じところにある
そんなこの国の人ひとりひとりの勝ち負けに対する圧倒的な厳しさ故
江戸は世界有数の高度な文化をも持てたし、維新後は国際社会から
「一目も二目も置かれる」アジア唯一の国家となってそれを守ってきた

さらに敗戦国の立場から瞬く間に世界有数の経済大国にまでなった
すべては日本人の圧倒的な厳しさとそこから生まれる日和見主義だ
形勢の有利な方につく、素晴らしく鋭い敏感さを日本人は備えてきた
ただの日和見主義じゃない、狙っている、静かに虎視眈々と狙っている
ほんの僅かでも、ほんの些細なことでも他人を越えようとする勤勉さは
優しくもなく甘くもない、だから決して曖昧ではない、日本人はシビアだ

しかし今の日本人はアメリカの狙い通りに日本人であることに誇りを持つ
ことができない、純粋な愛国心と言うものがない、経済一流政治家三流
アジア地域においてもっとも外交能力のない国などといろいろ言われてる
言いなりになってくれる、お金は出してくれる、論理的に、冷静に考えて
日本はアメリカの精神的植民地だと言っても、けっして言い過ぎではない
「これは独立でも何でもない」という遥か昔のパール氏の言葉が迫ってくる
ここから脱出するには、彼の言う東京裁判史観という歪められた自虐史観の
呪縛を解いていくほかはない

それには日本の参戦から敗戦に至るまでの歴史を客観的に事実通りに知る
必要がある、そしてこの戦争を当の日本人が理解するにはその前の第一次
世界大戦や世界が驚き日本中が沸いた日露戦争を知らなければならない
さらにこれらを知るには明治維新を理解しなければならない、明治維新を
理解するには江戸時代を深く知らなければならないし、その前の戦国時代は
もちろん平安時代や大和朝廷といった権力の歴史の理解が必要不可欠だ
また唐や、高句麗、百済などの近隣地域との関係などもこの国の成り立ちを
可能なかぎりブレなく捉えるためには知っておいて損はない

そういった歴史事実を深さと奥行きをもって理解するには、平行してもうひとつの
日本を構築していった、みやび、侘び寂びなどの日本独自の様式やその文化
さらに芭蕉、千利休、西行、空海など日本のスターやイザナギとイザナミといった
日本の神々、また神と仏の関係やその神仏習合などの知識はどうしても欲しい
とにもかくにも歴史を正しく確かに客観的に知ろうとする好奇心がすべてだ

結局のところ、この国の歴史を知らなければ、現在を理解することはできない
今が理解できないなら、将来はいつまでたってもやって来ない、まさに未来だ
靖国、原爆、安保、憲法などあらゆる問題の議論とその着地点はこの国の
深部を理解しているかどうかによって、途方もなく大きな違いとなってくる
パール氏の「日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい」を言い続けたい

日本の深部へ、その本質へ
これは権利でもあり義務でもあり、言わば日本人へのある種の心理療法なのだ
心の奥底から「日本人であってよかった」とより多くの人が思えるように
ただただ願う、葉月の日々

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2007.08.10

リフレクター

883reflector


トラブル報告、まぁ何てことないどうでもいいようなことだ

フレームのちょうどシリンダーヘッドの横あたりにあった
リフレクター、反射板が気付いたらなくなっていました
そういえば、いつだったか足に何かがあたった記憶が・・

19200km

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2007.08.04

花は桜木、人は武士

Sakuragi

 
 

先日の「花は桜木、人は武士」について、もうひと掘り下げ

この一休さん絡みの慣用句「花は桜木、人は武士、柱は檜、
魚は鯛、小袖はもみぢ、花はみよしの」にある、花は桜木の
部分がなぜか引っかかっていた、どうしても釈然としなかった

日本では本来、花とは桜に決まってるし、花はみよしのの
みよしのとは、西行さんも愛でる、あの山桜で有名な吉野山
のことかと思う、ひとつの句に花は~と桜がダブって不自然で
すっきりしない、まあそれなりに疑問に思う人も多いはずだから
ここのところを追求している記事にも容易く行き当たるだろうと
ネット検索してみたら掲載されたほとんどがこのタイプの句で
そうなのかな?と諦めかけた、ただその中にたったひとつだけ
「花は桜木を付けてしまっているのは、誤解」という、これはッ!
の納得する記事のブログがあった、やはりはじめはアタマに
花はみよしの、があって次に、人は武士、となっていたらしい
それが、花は~といろいろ変遷しやがて、花は桜木に落ち着いた
という訳だった、だったら後の、花はみよしの、は無くていいじゃん
とも思うんだけど、よくよく考えてみればこれこそ慣用句なのです
よく使われる言葉なのです、変化することはごく当然ともいえる

つまり間違いや誤解ではなく、余計な疑問の時間の浪費だった
でもあらためてネットの膨張性を体感した、これらを孤軍奮闘して
出版物や図書館で調べたら気の遠くなるような時間と労力だから
かまけて調べない、調べないから判らない、判らないから求めない
「求めよ、さらば与えられん」なのだ、しかし求めて与えられたなら
その世界は確実に拡がっていく、深く豊かに拡大していくしかない
宇宙が膨張していくなら、人の世界がそうなっていくことも摂理だ
その弊害もあるけど、いとも簡単にそれぞれの世界を膨張させる
このネットワークにのみ込まれる事なく活用し如何に選び取れるか
とにかくこういった初歩的な疑問こそ、膨張世界への扉に違いない
ずーっと大切にしていきたい

なんてったって「花は桜木、人は武士」の繋ぎによる語呂語感の
潔さ、格好良さ、そしてその余韻、文句のある人はいないだろう

 
 
 
 


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2007.08.01

暑中お見舞い

Super_dry_2

 
 
 
 
 

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2007.07.30

千葉能

Nougaku

 
 
 

今回は友人達をも巻き込んだ

幽玄幽艶なる、舞を舞う、世界へ行ってきました
「能楽」という日本文化の誇るべき伝統芸能です
日本の本質へ近づく為にはどうしても避けられない
どうせ避けられないなら、いろんな意味で贅沢な
自分なりに満足するものを観たいと考え、お勉強

最近は能舞台の関係からホールが多いようだけど
野外の能舞台で薪を燃やす薪能だけは外せなかった
雰囲気もあるし、その幽玄さにもつつまれたかった
調べていくうちに、千葉能の存在を知ったのです

千葉県文化会館の西側広場に能舞台を設置して
午後6時から行なわれるそれは、もちろん野外での
薪を燃やす薪能で、そんな薪の炎のあかりに揺れる
舞台の向こうには千葉城の天守閣が浮かび上がる
という、これ以上無いまさに求めていたものだった
室町幕府将軍足利義満からつづく観阿弥、世阿弥が
芸祖の観世流二十六世現家元の観世清和氏といった
出演者の面々、初能楽の僕になんの不足があろうか
それも、こんな近くの地元の千葉県での公演なのです

日本の本質へ向かう為に避けられない能楽云々とは
僕が勝手に思って言ってるんだけど、その能楽の根底に
五穀豊穣、無病息災、家内安全の祈願というのがあって
一年以上会っていなかった、たいせつな友人夫婦を招待
同じく親しい友人達を誘い、さらに千倉のカワさんも誘って
この避けられない一人旅はあっという間の御一行となった
「旅は道連れ、世は情け」おまけの「花は桜木、人は武士
柱は檜、魚は鯛、小袖はもみぢ、花はみよしの」って感じ?

 
Tibanou_2

いちおう囃子方の、笛、小鼓、大鼓に関心はあったから
そこだけは、しっかりと観ていた、観るようにしていた
そもそも能楽の音とは、この笛の初っ端の「ピヒョーーッ」
のきわどい音程が基本となって、そこへ小鼓大鼓の奏者が
きっちりと合わせていく、ということになっているらしい
その日の湿度、気温、それに奏者の体調などによっても
この笛の音は微妙に違ってくる、それを小鼓大鼓の奏者は
それこそ研ぎ澄まされた感性によって、すかさず聞き分け
そのときの笛の音に合った「イヨーーッ」の掛け声とともに
その場の気のようなものを取り込みつつ、おもむろに鼓に
打ち込んでいく、緊張感ある一瞬一瞬のつながりなのです

それ以外はよく分らなかった眠かったなぁ、という印象だった
とにかく「お能」の世界はあらゆるものを削ぎ落とした結果の
徹底的に抽象化あるいは象徴化された動きといえるから
それを観る側の想像力や感性も同時に要求されているのだ
能楽になにかを感じるとしたらここだ、僕のよく分らなかった
眠かったという事実は、その要求に応えられるだけのものが
まだ備わっていない証拠ともいえる、花までの距離は遠い

ただ、よく分らないなかに、はじめてジャズに接したときと
同じようなものがあった、見栄でカッコつけで聴きつつも反面
何かがある、よく分らないけどもそこには確実に何かがある
自分にとってあたらしい世界がある、といった何ともいえない
ジレンマと共に、どこか期待する気持ちも生まれてきている

ジャズですら自分なりに理解するまで10年はかかったのだ
 
Tibanou2_2


この日いちばん楽しかったのは、その後の皆さんとの食事
あのメンバーが一堂に会するのはなかなか難しいもので
これもある意味「お能」が施してくれた御利益だったりして
皆様、勝手なお願いを受けてのご参加有難うございました
こころより御礼申し上げます、できれば来年も観たいなぁ

しかしこういう文章って、漢字が極端に多くなる

 
 
 
 

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2007.07.29

じょうず、です

 
 

Coooool Surfing!

Jaws


Cool Surfing

On the North Shore of Maui, Hawaii, - Jaws wave
 

 
 

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2007.07.27

誠意とか

Suiren
 
 
 


すっきりと美しいスイレンは心を素直にさせる

深く豊かな魅力ある内面を感じる人に対して
表面的に浅はかな言動を僕はとってしまった
それでもその人はその内面ゆえ対応してくれた
しかしこのギャップに気付く事ができなかった
空気の読めないジコチューとは僕のことだった

そこまでの人間でしかなかった、野暮なヤツ
などという言葉では、とうてい、すまされない
その人を困惑させ嫌な思いをさせてしまった
人生はみんなうれしくたのしくなるためにある
「絶対」に、避けなければいけないことだった

迷惑を掛けてしまったその人にごく近い存在で
僕を諭しながらもフェアに接してくれる人がいた
誰もが慕う、感銘を受ける、そんな魅力ある人だ
彼女は僕のまずさへのアドバイスだけではなく
有り難い事に今後の口添えまで申し出てくれた
しかしこれ以上、迷惑を掛けることは許されない

そのひと言だけで十分だった、本当に十分だった
普段は意識して思わない誠意とか誠実さとかが
ぐわっと迫ってくる、というかこういうようなときは
ただそれしかない、まったくそれしか通用しない
反省するハートの奥底で、今はそう確信している

世の中って難しい、と思わず出た陳腐なことばに
ごくあっさり「そう、難しいのよ」と慈悲ある表情で
即答したこの人の理解にどれだけ助けられたろう
辛うじて自分を前向きに保つことができたと同時に
日々の人に対する接し方あり方を改めて痛感した

誠意や誠実さによって今は前向きにいくしかない
ぎこちなくてかっこ悪くても前向きにいくしかない
人生はみんなうれしくたのしくなるためにある
すっきりと美しい内面の素晴らしさをつよく感じさせ
花のような魅力ある人を困らせてはいけなかった
 
 
 
 

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2007.07.18

スウェーデン西海岸発

From_the_swedish_leftcoast

ELECTRONIC MUSIC FROM THE SWEDISH LEFTCOAST
plej :Arvid Niklasson&Erik Niklasson
 

研ぎ澄まされた感性

というような言い方やそれに近い言葉を最近よく持ち出してる
でも微妙に曖昧だから他の言葉にするなら、選んでいく能力
常に、厳密に、選んでいく能力、と今の僕は言い換えるかな
判断力、だけでも間違いじゃないけど、より曖昧になっていく
物事のまさに無数にあるものの中から、ひとつだけ選ぶ能力
まったくその反対に、どうしても、なにが何でも選ばない能力

露出オーヴァーもアンダーもブレもボケも、音楽にシンクロさせ
フリーとイージーなラフさの気楽な軽い気分で作ったかの様に
それを観る人へ感じさせ思わせ、実はすべて隙のない選択
これらひとつの矛盾も破綻もなくカタチにした映像編集センス
こんなクールな映像へは最大級の賛辞を贈ることを選びたい

You_tube

you - plej

「微に入り細を穿つ」を鋭く高いところで保つ「やわらかアタマ」
ストイックなタイトさと大胆さを注意深くバランスさせてる北欧
それは音楽にも、家具、自動車、家電などのデザインにもある
あればあるほど感じさせない、研ぎ澄まされた北欧の感性の
洗練された余韻は時を経て、時代を超えて、いつまで経っても

オシャレ





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2007.07.15

サーフィンは発芽する

Sprout
 
 
 
本・音楽・千倉仲間で自転車仲間で写真仲間でもある
S氏からトーマス・キャンベル監督のサーフィン映画DVD
sprout』を借りた、ヤバイ、これはかなりヤバイです

ごくふつうのサーフィンモノとくらべてあそびが多いです
あそびというか、おふざけ、これもサーフカルチャーなり
全体にわたってスローな映像だから、どこかアンニュイ
そしてその世界をつくっているのが漂流感ある音楽です

しかもこれクラブのDJが選ぶようなクラブミュージックだ
サーフ映像にサーフミュージックって、ホントは合わない
この音楽を主役に波乗り映像をただ眺めるのも悪くない
映像自体に文句はない、どころかその編集も素晴らしい

あそびがあって、チープさをもとり込んだ自由なつくりは
誤解されやすいけど、その映像編集は研ぎ澄まされてる
途中にはさまれるアニメーションに『The Way of Zen
なんて本がさりげなく出てきたりしてそんな雰囲気がある

そんな雰囲気とは、ユーモアとすべてを楽しむ敏感さです
そしてそれはブルース・ブラウンの感覚に源をみるのです
サーフィン映画を知らしめた『THE ENDLESS SUMMER
スティーヴ・マックィーン出まくりの『ON ANY SUNDAY

The_endless_summer_2

どちらも、楽しむという感性を敏感に発揮している作品です
ブルース・ブラウン作品はタイトルもこれ以上ないほど完璧
この『sprout』の意味は発芽、芽生え、芽吹くの状態らしい
サーフィン、波乗り、ライド・オンな人達すべてが持っている

「発芽していく」そんな思想のようなものを感じさせてくれる
それは身も心も前向きな自由に向けて楽しむ感覚の芽吹き
『sprout』を観ていくうちにすんなりと自然にそうおもえてくる
ところにレジェンド・サーファーのジェリー・ロペスが出てきた

ジェリー・ロペスが出てきて、あれ、おかしいなと僕は思った
この『sprout』を観ていないはずだから、友人に借りたのです
しかしジェリー・ロペスがヨガ、の映像を僕はすでに観ていた
それでも他の映像はまったく記憶にない、音楽も記憶にない

一服きめてたのか?やはり千倉のカワさんと観たのだろうか
記憶が抜けてる、そんな意味でも、ヤバイ、かなりヤバイです
このサーフィン映画の最後の最後にナレーションがひとつ入る
充足感ある波乗り映像を80分も観た後の説得力はあるのです

「可能性をムダにせず心から今を楽しむこと人生はそれがすべてだ」


それからやっぱり持つべきものはサーフィン映画仲間なのです




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2007.07.11

美夢中落花樹

Hubuki_1
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli

 



はな 
 
 
 

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2007.07.07

日本の本質へ

わかる人にはわかるけれど 

「 わたしのまちがいだった
  わたしの まちがいだった
  こうして 草にすわれば それがわかる 」

八木重吉さんが、遺したことばです

振り返ってみれば、ぼくが最後に
草にすわったのはいつだったろう
思い出せないくらい時が横たわる
そう、草にすわって 確認をしたい

On_the_green


言葉が枯れて、一年ちょっと潜んでいたあいだ
わかる人にはわかるけれど、本を読みまくった
豊かに深くそして美しい一冊に出逢ったからだ
この本については、何れ書くと思う、いや、書く
ここからの僕の変り様は凄かった凄まじかった
僕の何が、どう変ったのか、どう凄かったのか
気持ちの向き、あり方、方向が見事に反転した
わかる人にはわかるけれど、日本の本質へだ

その反転する以前、気持ちはどこへ向かっていたのか
と言われたら西欧とか欧米とかのスタイルに間違いない
なかでもアメリカには強烈な影響を受けたと言い切れる
西欧の、ファッション、絵画、音楽、映画、文化、考え方
そんな様式とも言える西欧のスタイルをただ求めていた
求めているのは僕だけではない、日本人の大多数だろう

アメリカによる原子力爆弾をきっかけとして、その歴史だけは区切り
そこへ、現実的にはこれ以上ありえない超理想国家のものといえる
憲法第9条をアメリカから与えられその本質と引き換えに再生した国
この母なる日本に生まれアメリカのやり方の恩恵を受け育った人達が
強いアメリカをある種の父親として、潜在的にあるいは過剰に意識して
捉えて、そのスタイルへ向かう事は人間として、ごく当然だとも僕は思う
あまりにも当り前すぎて、それすら考えなくてもいい事なのかも知れない

このスタイル、このアメリカのやり方の先に、つまりは西欧、欧米文化を
支え、支えながら造り出し消費していくサイクルの先に、資本主義がある
欧米文化とは割り切れる世界なのだ、もしくは割り切っていく世界だろう
音階、+-、数値などに、置き換えられ、割り当てられ、区切られつつ
すべて明示される、割り切れないものは、あっさりと、切り捨てられる
これこそ欧米文化であり、その圧倒的な資本主義の強さとカッコよさだ
この素晴らしくも心地良い強さとカッコよさに僕はどっぷりと浸っていた

しかしある日、豊かに深くそして美しい一冊の本に出逢ってしまった
出逢って心を奪われたと確信したなら、その人は動かなくてはいけない
そこから日本の土台基礎が幽かに自分なりにわかる程度まで到達した
日本の人である僕は日本という国に対してほとんど理解していなかった
わかったのは、それだった、ほとんどを理解していなかった、日本への
僅かな知識も、誤解していた、間違って捉えていた、の呆れた連続だった
僕は日本が分かっていなかった、分からないから意見も、何もなかった
意見も何もないとは、動きようがないということで皆さんは僕の仲間です
日本とアメリカ、あるいは中国との関係、省庁や官僚の問題が良い例だ
判り易いところだと、社会保険庁でのあのような事実や実態に対して
マスコミ先導型のスクエアな日本の「国民感情」が大爆発を続けている
しかし社会保険庁はそのままあるし、与党はそのまま政治をしている
結局そのままかそのまま先送りだ、そしてその先でもそのままのままだ

これら原因は、すべて教育の中にこそある、と今の僕は言い切りたい
とくに歴史の教科書は酷い、日本人で良かった、と思える箇所がない
では事実そうだったのか?いやそうではない、と僕なりに確信している
しかし戦後は日本人で良かったと思えるときなどなかったのではないか
さらに言うなら、心の底から日本人で良かったと思える人が今いるなら
その人は本質のところで、たぶん日本人ではない、たまたま日本に
縁のあるその日本との、金の切れめが縁の切れめ、のただの人間だ
魂も思考も客観も意見もない、だから個人もない、ただの人に過ぎない
つまり、日本人で良かったのではなく、日本に生まれて良かった人だ
ただの人が、生きていく所として、これまでの日本は最高の場所だった

このことを察知して、日本の本質へ正しく確かに導ける教師や身近な
大人などがいるなら、その子供達は運がいい、しかしごくごく少数だろう
歴史に興味がほぼ湧かなかったのは、そんなところもあるのかとも思う
僕が通学した高校は授業選択がたいへん自由な当時珍しい学校だった
当然のごとく歴史ではなく地理を選択した訳だけれど、最初の授業での
その教師のことばを今でも覚えている、生徒は7、8人しかいなかった
「地理を選択するお前らはおかしい、普通じゃない、わかるだろ?」
後日、県立高校の教師である彼が縦目のメルセデスで通勤しているのを
見たとき、初めて彼のことばに頷き納得をした、大学は地理学を専攻した
はなしがだっせんしすぎた

じゃぁ日本の本質とは何か、と訊かれたら、それは日本語という言葉です
と確信を持って今では答えることができる、日本の本質はコトバにある
コトバとは、気持ち、心、思想、教養、情報、社会、考え方のすべてだ
日本の考え方は本来、割り切れないものを切り捨てたりはしていない
割り切れるものと割り切れないものがあることを理解し、共存させている
だから甘い世界かというと、まったくその反対だ、厳しさは徹底している
そこに日本の圧倒的な美しさがある、そこに日本の豊饒の奥深さがある

この日本語をかたちづくる基本的な文字として存在するのが、ひらがなだ
中国から取り込まれた漢字をくずしつつその読みから音をも与えていった
当時の日本では手本となるこの漢字を真の名ということで真名としていた
これを基に日本で創られた新たな文字は仮の名となる、これこそ、かなだ
シンプルに言えば音によってもつくられている、と言っていいこのかなこそ
日本語の美しさ、幽玄さを表している、和歌や俳句などを読むとき感性を
研ぎ澄ませ音読すれば、その流れるような心地よさに気付くかもしれない
本来は、文字、文章というものはすべて、誰もが声に出して読んでいた

そして今で言えば恋愛小説である、紫式部の『源氏物語』は決定的だった
日本語は恋愛小説をもって完成した、僕がそう言いつつ感銘を受けるのは
ここだ、『源氏物語』がこの地で広く読まれたことによって日本語は定着した
恋愛とは人間の結晶のひとつの核でもある、驚嘆する爆発力を秘めている
この恋愛という核を文学、哲学、物理学、科学、医学その他あらゆるものが
どこまで追求していってもこの先解明されることはないだろう、しかし日本は
その恋愛をも自由に豊かに表現できる言葉を世界に先駆けて手に入れた
「小説があるのはフランスとチェコと日本だけ」と、どこかで聞いたことがある
それだけ日本語は文法的にも言葉自体にも自由度が高く解釈は多様になる

だから日本語は難しい、そしてだからこそ魅力がある

すぐ傍にこれだけ魅力的なものがあるのに、知らず、理解せず、求めず
という僕は、どこか、すこし、というよりも、本当に、おかしいのではないか
そう思ったとき、ここに気付いたとき、間違っている、と一瞬でも思ったとき
機関車が方向転換するときのように、そのターンテーブルに、僕はのった
もちろん自分なりに求めてきた、これまでの動きを否定するわけではない
「それは、間違っていないでしょう」と、やさしく言い放ってくれる人もいた
これまでの求心力、推進力があったからこそ、日本の奥底を意識できた
境界を越えた向こう側のより遠くから日本の本質を眺めることができれば
よりフェアに、より客観的に、より正確に、それを捉えることができると思う

これからは日本の本質へ、と言っても修行や出家をするということじゃない
欧米のファッションも音楽もスタイルも文化も、その感性も愛すべきものだ
ブーツや革ジャンなども着用するし、ジャズやクラブ系といった音楽も聴く
ノルウェーやニューヨークのライヴハウスと美術館等まだまだ興味があるし
ハーレーもまだまだ乗る、そんな選択眼や審美眼はシビアに持ち続けたい
それらを大切にしつつ楽しみつつ拡げつつも、これからは気持ちの重心を
日本の奥底へ置きたい、三島由紀夫や司馬遼太郎がそうしたように

日本人は何れ、日本の本質へ向かう、アメリカ人はアメリカの、中国人は
中国の、イタリア人はイタリアの、キューバ人はキューバの、その本質へ
さらには、その家族へ、母や父へ、自己へ、あるとき生まれたものが外へ
向かっていき、あるところを到達点にしてやがてしずかに返ってくるように
物事は本質へ向かうことになっている、あるいは向かうしかないのだろう


そしてこれは僕の勝手な、意見でも希望でも確信でも宣言でもあるのだけど
中でもこの日本の本質とは、他に類を見ないほど高みにあり奥深く洗練され
稀有に優れた奇跡の、まさに行ってみるに値する、感能の世界ではないかと

わかる人にはわかるけれど、僕にしてはマジメすぎた、まぁたまにはいいかな
 
 
 
 

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2007.07.04

美夢中落花樹

Yumezakura
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli
 
 
 
 
おちゆく 
 
 
 

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ブレーキ・スイッチ

Xlh883switchXlh883switch2
Xlh883switch3Xlh883switch4
Xlh883switch6Xlh883switch5

フロント・ブレーキを掛けても、ブレーキ・ランプがつかないことに気付く
ちょうど行きつけのショップの近くだったのでそのまま修理スペースへ
どうやら、ブレーキ・スイッチの接点というか、その動きが悪いらしい
点いたり点かなかったりでなんとか正常といえる状態にしてもらった
また点かなくなったら、交換しかない、ということだった

いま、もう、すでに点きません

ただ、こういう修理スペースが心地よく似合うバイクだとつくづく思った
それで言って欲しいんだけど、僕は馬鹿の一歩手前なのでしょうか
それともスイッチ同然、もうすでに馬鹿になっているのでしょうか

携帯カラー

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2007.07.01

ニンジン

Ninjinn_2

 

オートバイの保険の手続きで行きつけのショップへ行った
帰り際サチョーの奥さんに、ニンジン持っていく?と言われ
頂きます、と笑顔で即答、立派なニンジンさん、5本貰った

かたち、色合い、匂い、雰囲気、まさに、ニンジンのカガミだ
なんでも奥さんの弟さんが、種から丹精込めてつくったらしい
人が手を掛けた分だけ、それに応えてくれる自然の摂理です
なんとなくこのニンジンさん、食べてしまうのがもったいないと
さえ思いつつ、その味と甘みが濃厚でバリ美味いとのことです
よしニンジンさんの煮物をしよう、もちろん薄味、あとカレーかな

今の僕にはこういう野菜のおすそ分けはホントにうれしいから
うれしい、うれしい、と言っていたら、そこまで喜んでくれるなら
こちらこそあげたかいがある、と反対に喜ばれてしまったりして
よりうれしくなったのです、では 出来るかぎり美味しく頂きます

それがニンジンさんと皆さんへの、お礼です 
 
 
 

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2007.06.30

美夢中落花樹

Hubuki_1
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli

 



なかを
 
 
 
 


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2007.06.29

ケミカル兄弟

We_are_the_night_2




 日本美へ気持ちが向かいつつある今も
The chemical brothersはやっぱり好きだ
今までのながいあいだ僕らをノセてくれた
これからもそのDJで踊らせてくれるだろう

ダンス、テクノ、ロック、デジタル、ブレイク
その音楽をひとくくりにする呼び名はない
あるのはケミカル・ブラザーズの、ビートだ
New ALBUMが出るそばからの物足りなさ
その理由を僕らはもう当然に、知っている
ひとり座っておとなしく聴く音楽じゃぁない
フロアやクラブでそのビートを身に浴びたい
その最たる場所こそがフジロックフェス

あの奥深い、山々に囲まれた苗場の地で

あの大自然、の地でタマシイを揺さぶられ
あの大音響、に身を打たれて取り込まれて
あの大歓声、の前後左右踊る人にのまれ
あの大興奮、に大興奮の高揚感に溺れて
あの大開放、の嬉しさ楽しさにもってかれ
あの大放心、に虚脱した身も心も漂わせて
あの大空間、の彼方へ遠く連れて行かれ

今までのながいあいだ僕らをノセてくれた
きっと、これからもあのDJで踊らせてくれる
ケミカル・ブラザーズのビートがあるかぎり

日本美へ気持ちが向かいつつある今でも
やっぱり好きだThe chemical brothersが



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2007.06.25

美夢中落花樹

Yumezakura
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli
 
 
 
 
ゆめの 
 
 
 

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2007.06.24

言霊さん

Otyazuke

 

たとえば、何々になりたい
と、声に出して言えるなら
なにかが後押しするだろう

それなのに、詩人になりたい
という言葉を出す、その瞬間
拒絶され、もうあっという間に
押し出され、遥かかなたへ
連れ出され、詩そのものから
遠く隔ったところに、僕はある 

と、山本山の海苔茶漬けを
ひとり食べながら、ふと思う


梅干し、ひとつ

かな

 

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2007.06.20

美夢中落花樹

Hubuki
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli


ひとつの小さな、ひとつの何かが、ひとつの断片が、ひとつの記憶が
ひとつの感情が、ひとつの想いが、ひとつの言葉が、ひとつの面影が
幾千の絵となり像となり結晶となって、縦横無尽に意識を貫いてゆく

しかしこれ以上、ぼくの能力では、ぼくの感性では、ぼくのぼくでは
このやわらかくも貫かれてしまう情態をことばにすることができない

ただ、ぼくのこころには今、800年のときを超え、この歌だけが ある
 


ハルカゼノ ハナヲチラストミルユメハ サメテモムネノ サワグナリケリ

はるかぜのはなをちらすとみるゆめは さめてもむねのさわぐなりけり

「春風の 花を 散らすと 見る 夢は さめても 胸の さわぐ なり けり」

 

師、西行さん

 
 

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2007.06.15

なる写真

Nalu


「ない」から「ある」への「なる」

「なる」写真

まさに移ろい移ろってゆく

「なる」写真

移ろう、映ろう、写ろうの

「なる」写真
そういう写真が撮れたら
そんな何かを手にしたら
もうなにもいうことはない
「なる」写真

一生、無理かもしれない

「なる」写真

でも、やってみるしかない

「なる」写真

「ない」から「ある」への「なる」

「なる」写真

そんな、きっかけにも、なる

「なる」写真
 
 
 

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2007.06.11

秘する花を知る事。

「花を知らんと思はば、先づ、種を知るべし。

花は心、種は態(ワザ)なるべし」
 

Zeami_1

 


世阿弥の説く、簡潔鋭利な文章を追っていくうちに
能楽にある圧倒的豊饒世界を創りあげているのは
いったい何なのか、ということをもかるく超えてゆく

「秘する花を知る事。

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。

この分け目を知る事、肝要の花なり」

秘すれば花なり・・

深い、ほんとうに深すぎる、部屋で溺れるかと思った
芸術論を超越した、ひとの在りかたの書『風姿花伝

 
 


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2007.06.10

その曲を歌うBianca Ryan

2006年の夏、アメリカNBC放送の"America's Got Talent"という
オーディション番組の予選で11歳のひとりの少女がある曲を歌った

それはJennifer Hollidayの"And I'm Telling You I'm Not Going"だった
ひとむかし以上前だろうか、ひょんなことから知った、お気に入りの曲だ
愛するひとへの気持ちを綴った、ことを超えて、その相手に対してグイグイと
向かっていくような、差し迫っていくような、つよく要求する詞にもなっている
ひとつの曲としての完成度は高く、数多くのヴォーカリストにカヴァーされた
とくにJennifer Hollidayのミュージカルでのパフォーマンスは彼女の雰囲気と
合わせ鬼気迫るものがあり、ものの見事にアメリカだった

このJennifer Hollidayの曲を素朴さと未だ幼さを残している少女が歌いはじめる
審査員のひとりであるBrandyは、その歌いっぷりになにかを感じ、ただ首を振る
さらにほどなくすると彼女は、アメリカに認められた、つまり殆ど世界に認められた
ひとりのヴォーカリストとしての確かな自信、まさにその確信の上に立ち上がる
この瞬間、ステージ上で熱唱している少女に対しての、評価は決定的になった
と同時にBianca Ryanは世界に紹介された、もはや予選や決勝すら関係なかった
第一回目の"America's Got Talent"はBianca Ryanを売り出す為の媒体になった

Bianca_ryan

Bianca Ryan from America's Got Talent


左隣の"ナイトライダー"のマイケルことDavid Hasselhoffも、ただただ圧倒されている
Brandyの動きにつられて立ち上がろうとしつつも、俳優の彼ですらそこまでは
出来なかった、おもわず、ヘンな動きをしながらまったくずれたリズムで机を叩く
と今書いているぼくだって、もしその場にいたのなら分かったものではない
審査員であるもうひとりPiers Morganは、ほとんどといっていいほど動かない
きわめてアメリカを感じさせる観客席からの拍手大喝采のなか曲は終わりつつある
伴奏のドラマーも何かを確信してこのときを記憶に留めたらん如き最後をキメる

興奮状態に近い観客席の拍手大喝采は鳴り止まない
先ずBrandyは言う「アン、ビー、リー、バボー」後はその確認のような言葉だ
イギリスの日刊紙The Daily Mirrorの編集長だったPiers Morganは静かに熱く言う
「髪を変えて、服を変えて、靴を変える、そうすれば、キミは優勝する」
冷静で的確、マトを得たもの言いだ、そしてきわめて欧米的な言葉の使いかたでもある
すでにある飛び抜けた力に、映像的な力もしくは魅力を足していくということだろう
こういうことになったらアメリカは得意だ、そのパワーにはすさまじいものがある
ただ、彼の言葉には「キミは優勝する、だからすべてが変る」という暗示もある
(諸手を挙げて)拍手をしていたDavid Hasselhoffは「キミはスターだ」とやっと言えた

少女は優勝する、賞金100万ドル、そしてCDデビュー

いい世の中だBianca Ryanの映像を大概観た、歌唱力に関して微妙なところもあるけども
B+級以上はあるだろう、しかしこの予選の魅力を超えるものにまだ巡り合っていない
髪型を変え、服装を変え、靴を変えたBianca Ryanに、力を足されたBianca Ryanに
魅力がアップした筈のBianca Ryanに、なにか不足しているものをどこか感じてしまう
その不足したものとは、見えない何かであって、やはりそれこそ「花」というものなのか
確かに言えるのは、彼女は模倣が巧いということだ、それは目指すべきイメージが、
目指すべきヴォーカリストが、彼女の中に強烈にあるということでもあって、さらにその
イメージを再現する能力に優れている、その歌手の雰囲気をも掴み真似ている
しかし、そこまでなのだ

洗練される前の素朴さと幼さを漂わせた少女が"And I'm Telling You I'm Not Going"を
つまり「あなたなしでは生きていけない」などと、圧倒的なにかでもって歌い切るという
ある種の、ギャップ、意外性、ショック、驚きなどを感じ、そういった所に感動をしたならば
まさに世阿弥の説く世界の「花」がそこにあったということか・・こんなことを言ってると
ロリコンと思われかねないので(まぁ怪しいには違いないが)ぼくは大人の女性が
好きだと一応書いておく、もちろん単に"And I'm Telling You I'm Not Going"の楽曲の
素晴らしさもある、上手い下手に関わらず誰が歌ってもそれなりに聴かせることが
可能な曲だ、しかしその先は、身を焦がすような、刺し貫かれるような、恋とか愛とかを
辿らずにJennifer Hollidayのようには歌えない、もちろんJanisのようには歌えない
本当にJanis Joplinは凄かった、身も心も刺し貫かれていた

Bianca Ryanにどこか不足を感じるというのは、ここかも知れない、その不条理さ
その残酷さ、その幸福感、その満たされた想い、そしてその喪失感、というような
経験することによって膨張していく、こころの深さやその厚みのようなものかもしれない
もしそうなら彼女は運がいい、この先じゅうぶん期待できる、彼女は今12歳なのだ
いつか、恋とか愛とかの何たるかを知り、その模倣を巧く昇華させた後の
Bianca Ryanが歌う"And I'm Telling You I'm Not Going"を僕は聴きたい

「Change your shoes」と言われたときの彼女のしぐさは、可愛いなぁ
 
 
 

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2007.06.01

禅とオートバイ修理技術

「オートバイの行く末は、文学にしかないのではないかと、ふと思えてくる」

彼、がこの本をとりあげていたことに、ちょっとした驚きがあった
もちろん、オートバイ、という単語にいささか過剰に反応している
という点もあるにはあるが、その慣れ親しんだオートバイのせかいと
ぼくには未だ遠い存在といえる編集工学の雄との接点を表面的にすら
つかむことが出来なかったからだ

とんだ勘違い、とはこういうことを言うのだ


Zen_and_the_art_of_motorcycle_maintenanc

書評に垣間見えるように、ぼくが浅はかだった、まったく、うかつだった
彼の人脈はその情報量の如く多岐にわたりケンタウロスも含んでいた
ケンタウロスやその大倉正之助氏(能楽師大鼓方、たいへん興味深い
ひとなのでその著書などまた後日)といったひとたちがぼく好みの
あやしい行動をすることは知っていたけれど、ここで繋がるとはまるで
クロスワードのようだ、ただの工業製品とはいえ、対峙するひとによって
ずいぶんと違ってくる、きわめて精神的な乗り物に、松岡正剛氏の影が
無いはずは、なかった

はじめて松岡正剛氏の本に接したのは『花鳥風月の科学』だった
ちょうどそういった日本的なものに興味を持ってきた時期でたまたま
カワさんが市の図書館から借りていたものをマタ借りさせてもらった
恐る恐るさわりだけ覗いていたら、どことなく急ぐ感じがありつつも
彼が説く花鳥風月のせかいと、おそらく波長が合ったのだろう
いつの間にかすんなりととりこまれていき、ふと気付けば圧倒的な
情報と知識量や深さ、そして言葉の質に、驚きと感銘を受けていた
そのときの読後感が、そのまま日本の美に対する知的欲求となった
とにかく、千利休にしろ西行にしろ空海にしろ日本美を求めていけば
その先でかならず「松岡正剛」の名を目にし、その文章を読むにつけ
いったいこのひとは!?となかば畏怖の念すら抱いたのを憶えている

Katyouhuugetu_4

気の遠くなるほどの時間とお金を使い、オートバイに接してきたぼくが
当のオートバイに乗っていないどころか、その免許さえ持たないひとの
ちょっとした文章に、オートバイを解っている、と思いのほか深いところで
感じいってしまうというのは、ある意味、自分への脱力感をも覚えながら
琴線に触れる、というより、琴線を摑まれたかのような痛快な驚きがある
そこには優れたバランス感覚で、瞬時に本質を捉える正確さがあるのだ
それは彼が、オートバイに乗るひと、としても一級であることを現している
オートバイの、凛、とした、美しきせかいを求めているひとなら理解できる
絶え間なく物事をバランス良く捉えるセンスは、オートバイに接するうえで
もっともたいせつなことと言いきっておきたい、ここであえて断っておけば
それは身体能力云々ではなく、ようするにアタマのなか(精神)ということだ

吹けば飛ぶような実用性しか持ち合わせていない必要悪の工業品として
環境や社会に対し貢献度が乏しく、あるのはそれなりの企業利益と
使用者の自己満足がほとんどということでは、煙草、と似た境遇だろう
当事者以外からみれば、はた迷惑このうえないシロモノには違いないが
時代に淘汰されつつ過去の遺物というものへ向け加速していく姿も含め
オートバイの存在そのものに、強引に言ってしまえば「文学」(哲学か)
・・的外れな感じの、妙に気恥ずかしい言葉・・その「文学」(哲学か)を
つよく感じるというのは、いったいどういうことだろうか

Motorcycle1_1


それはこの機械がもともと持っている魔力であり魅力であり本質でもある
常に不安定で、脆さを内包し、それゆえ儚い、ひとことで言うと「弱さ」だ
というと、どうもネガティヴだけれども、頑強に自立した純粋な「弱さ」だ
まさに、松岡氏言うところの「強さの欠如、ではない、弱さ」が存在する
そこには圧倒的な、深さと、そこからの突き抜ける「美しさ」がうまれてくる
そういった、作品、に、力強く詩的な美しさの『見よ、月が後を追う』がある
ただその作者丸山健二氏と松岡氏の相性はどうしたって良くはないだろうが
そんなところも含めて「花鳥風月とオートバイ」あるいは「加速的生命感覚」
なんていうタイトルで彼が一冊でも出してくれたら、それはもううれしいなぁ

で、ここでやっと本題に入る訳だけれどもこのロバート・パーシグの著書を
どのくらいぼくは理解しただろうか、おそらく半分も理解しなかったはずだ
興味深いところはそれなりにあったが、おもしろく、読めたとは言い難い
それは、ぼくが哲学や物理学に対しての造詣があるとは言えないからで
『禅とオートバイ修理技術』の半分を占めるそれらの文章に向けて自分の
軸となる思考がないのだ、つまりは比較のしようもなく、引っ掛かりもない
どうにでもとれるし、またとれない、という事態は、タイクツにもなってくる
さらに、その原因が自分にあるから、それなりにかなしくもなる、この本は
「自己発見の旅」だ、つまり僕には未だその旅の資格がないようなのだ


Motorcycle2_2


それが、先の松岡正剛氏による書評でアウトラインが示されたことによって
全体にわたって、よりくっきりしたイメージになり、理解度が2、3割はアップした
この本に掛けた時間も、そこに意味があったとすれば、深化したに違いない
ウーン、とにかくありがたい情報だ、ということで、哲学に対してある程度の
知識があるひとならば、たいそうおもしろく接することが出来るかもしれない
当時、その只中にいたカワさん曰く「音楽で世界が変わると一瞬でも思った」
くらいの気分とそういう時代背景もあったとはいえ、この本がベストセラー
だったのだから70年代のアメリカには、良くも悪くも、浮き立つ様な加速感が
存在したのだ、とここまで書いてきて、結局なにが言いたかったのかというと

『禅とオートバイ修理技術』を松岡正剛氏がとりあげないで、いったい誰が
とりあげるのか、とりあげない方がおかしい、ということなのです

しかし、なんどみても、このタイトルは「松岡正剛」くさい

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2007.05.29

女王

上手下手ではない。そのこころが人をうつのだ

                   小澤征爾


女王、美空ひばり、は類まれなるテンサイです
天賦の才能がさらなる努力で突き抜けます

お祭りマンボなどのテンポのはやい曲ですら
リズム、間、タイミング、すべてに圧倒される

歌うことの巧さゆえ、どうしてもかくれてしまう
その感情移入こそ、つまりはその、こころこそ
美空ひばりの魅力だった、とぼくはつよく想う

つくりごとの、アンリアルな、うたのせかい
ニホンじゅうのどこへいってもある、こころを
ごくありきたりのこころをそっくりそのままの
こころでうたった美空ひばりに、ぼくはなく

悲しい酒


もうひとり、ちあきなおみ、は美空ひばりレベルに唯一
限りなく、接近できた、歌い手に違いないだろう
彼女も演歌に限らず、様々なスタイルで歌った
ポルトガル民謡のファドなんて、せつなくて、とてもいい
ただ、彼女の作品全体にわたって、もったいないのは
その歌に対してあまりにも陳腐なやっつけ伴奏なのだ
そこに当時の歌謡業界の意識とレベルが垣間見える

ちあきなおみクラスの歌い手にはそれなりの演奏が
あって然るべきで、それが出来ないならアコギ一本で
よかったのだ、いやかえってその方が彼女の魅力が
よりくっきりと凝縮された作品になったはずだった
そうなれば、もう少しは違った時間が流れただろう
小西 康陽氏がいたらなぁ、と思わずにはいられない

まさに伝説の"The House of The Rising Sun"

どちらの女王も、いまはもう、歌っていない

のこされたその映像を観ながら、ぼくはなく
光があれば、そこにはかならず影があり、スポットライトに
光輝けば輝くほど、コントラストを強め、その影は濃くなる
歌い手として、すべてを手に入れたリアルな輝きの中で
ふたりのこころは底なしに途方もなく深かったのだろう
結局、ふたりともその豊穣なこころゆえ、歌えなくなった

そこに、ぼくはなく

そんな喜怒哀楽を綴っていくことを託された女王たちをも
ただ時間というのは奪い去っていってしまう、盛者必衰

そこに、ぼくは無く

歌舞伎町の女王にカヴァーしていただきたいね


 

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2007.05.22

Can’t get no satisfaction.

「・・を失ってはじめて、その存在に気付くのだ」


Dsc03544_1


友人のSR500spとTriumphサンダーバードに乗る機会が久々にできた
房総の海岸線から山間を抜け市街地もありの試乗会ツーリングだった

幸か不幸か、ここで883の満足できない所がいっきに目の前に迫ってきた
先ずは、やはり、というか兎に角フロント・ブレーキが効かないという事実
同じシングル・ディスク・ブレーキの1982年型SR500よりも、劣っている
それから低速域でのフラツキ、前後サスの動きとその乗り心地の悪さ
クラッチの重さ、レバーやグリップの太さ、ハンドル形状、マフラーetc・・・

挙げていけばキリが無い、なんということだ、挙げていけばキリが無い
積極的に、納得がいかない、ということではないけれど満足はしていない
乗るたびに、そういった意識を燻らせ、これはもう半ばストレスではないか
そうなると、様々な犠牲を払い所有し走って、何のために乗っているのか
ということになってくる、閉塞感漂うきびしい状況といえば、そうなのだろう

そんなときは、たいていアタマでっかちになりすぎて、忘れてしまっている
オートバイが生まれたのと同時に、存在している、その奇跡的な魔力を
様々な風景、出逢ったひと、喜びや悲しみ、その他ありとあらゆる記憶を
そして、はじめてこのハーレーを操ったときの、あのたしかな高揚感を

Dsc03541

KUSA.


ほんとうのところ

充分過ぎるのだ

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2007.04.20

IT BEGAN IN AFRIKA KA KA KA・・・・・

It_began_in_afrika


It Began in Africa

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