April 27, 2008

月日は百代の過客にして

行かふ年も又旅人也 、とはよくぞ言ったものだった

Tugaru



思えば月日に追いつ追われつ してきた、そういった感慨のなか
いま欲しいものは何かと訊かれたなら、答えは時間しかない
これまでも徹底的に、贅沢に、つまり自分勝手に過ごしてきた
だから時間には恵まれてきたはずだった、それでも時間がない
あとどれだけのセカイと邂逅できるのか、なんとも時間がない

おくのほそ道は冒頭の数行だけで充分腹にこたえるものがある
その後の名句すら霞む、いやむしろ、名句が控えているからこそ
などと徒然想っていたら、いつの間にか、その過客となっていた
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

路上に生涯をうかべ、鉄馬の口とらへて老をむかふる物は、
日々旅にして旅を栖とす 古人も多く旅に死せるあり
自分もいづれの年よりか、坂の上の雲の風にさそはれて、
漂泊の思ひやまず、海浜に流木拾ひ集めて、去年の秋
船橋の家屋に古本をはらひて、やがて年も暮れて、春になった

ふと霞の空に東北の櫻でも観ようなどと思ったら、もういけない
とたんにそぞろ神がのりうつり、おまけに道祖神の手招きもあり、
とる物も手に付かず、スイッチ・オン そんな理由で休みをつくり、
Digital audio playerのファイルを入れかえて、旅支度をはじめる

芭蕉曰く「松島の月先心にかゝりて」だが、僕はどこか風雅な
響きある平泉の地が先ず気にかかり、名月の方は後日に譲り、
弘前城の櫻に焦点をあて、目指す地は津軽と決めた、その折に

ほそ道も 衣も夢も 陸奥越えむ   

と発句を詠み、芭蕉が詩仙李白を慕い、模倣し巧く醗酵(?)させた
おくのほそ道への讃歌のようなものとして、ここにパロって記した
偶然にも、中尊寺へ訪れた日は西行祭短歌大会という催しあるも
露知らず、古雅な空間に触れて、計らずもハクタイのカカクとなった

Tyuusonji_hondou
中尊寺本堂

 
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也 、云々」とは
本当に、よくぞ言ったものだった、光と陰がこころを透り抜けてゆく
凛とした響きとその調子がある、そしてどこか清清しい気持ちになる
さすが俳聖、芭蕉はことばの人だった、越えている、ときを越えている
声に出して詠むと、 よりワカる
 

 
 
 
 

January 14, 2008

松林図屏風

Hasegawatouhaku

  
 


感銘を受けた、いややられた、ホントに久しぶりに、やられてしまった
日本水墨画の最高傑作と言われている長谷川等伯の『松林図屏風
国立美術館の本館2階にあるその国宝室に足を踏み入れた瞬間
彼の創りあげた世界観に、すーっと、たちまち吸い寄せられてしまった
ガラスの内側の屏風の向こう側に奥行きと広がりのある空間を感じさせ
ふいにそこへ入り込んでしまったような湿度とその質量をも感じさせた
胸の透くような「空間」この作品を観た大概の人はそれを体感できる

水墨画は無彩色の世界だから彩度は無い、デジタル的に言うならば
彩度ゼロのブラック&ホワイトの世界だ、あるのは明るさの明度だけだ
逸る気持ちで鼻の先をガラスにくっつくぐらいに近づいて観てみると
描かれている松の最も濃い部分などは「バッバッバッ」と威勢良く筆が
あてられ、ひと息で大胆な筆使いというよりも大雑把な印象すら受ける
それが全体を眺めるとなると、肌理の細やかな映像へ様変わりする
リアルな光景の様な、心なしか風が流れている様な、それ故風流な
もはや彩度ゼロとは思えない、有彩色の清涼なる空間が拡がってくる

ここで唐突にMiles Davisの話を持ち出す
彼の人となりを色で表すなら、極彩色といっても間違いではないだろう
しかし彼の紡ぎ出す音はどこかモノトーンのモノクロな音に違いなかった
その旋律に余計なものは一切無かった、どころか、彼は吹かなかった
意識して、奏でるべき音を出さなかった、吹かない、という創造だった
すべてをカタチにせず、結果そのイメージはそれ以上のものを表現した
これがむずかしい、つまり引き算だ、大概は出来損ないになってしまう

引き算と言えば、ちょうど今興味がある人物に青山二郎という人がいる
資産家で、骨董蒐集家で、装丁家で、隠れ批評家のような、実際何を
やっていたのかよくわからない、まぁそんな感じの、そういったような人だ
彼は「いちばん言いたい事は文章にしてはいけない」とまで言った人だ
含みを持たせ相手の想像力やそれらイメージに任せろ、と言った人だ
青山二郎の遺した言葉には深淵から一気に刺し貫いてくるものが多い
それで青山二郎とくれば、小林秀雄が出てくる決まりになっているようだ
「結論は書いてみなくては判らない、判っていることは書く必要がない」
なんていうことを小林秀雄もクールに喝破していた

うんざりするほど心憎い流石は小林秀雄だ無常ということだ考えるヒントだ
まったく、書かなければ判らない、ときには、書いて判ることが確実にある
松林図屏風の、いったい何が、どう素晴らしいのか、どこに惹かれるのか
ここまで読んでくれた人にはなかば無駄足のようになってしまったけれど
思いつきとりとめもなくつらつらと、の上記文章ではそれこそ出来損ないだ
僕はMiles Davisでもないし、もちろん青山二郎クラスの足もとにも及ばない
だから松林図屏風について、今いちばん言いたいことをはっきりさせておく
機会があるなら、ぜひとも接して欲しい、死ぬ間際でもいいはずだ

その「余韻」こそ、松林図屏風の醍醐味だからだ

四百年前の水墨画が、認知され注目され賞賛され続け、良くも悪くも
日本国の宝にまで登りつめたという事実は、等伯の極みに違いないが
何百年前だろうが何千年前だろうが、現在もこれからも、どんなに時が
経っても人間が存在している限り、求めるもののその本質は変らないし
またそれらを求め続けていくものだ、と今あらためてつよく実感している
くり返す様だが、ではその本質とは何なのか?その核心とは何なのか?
ようするにそれは「余韻」を産み出すものではないだろうか、美の神とは
「余韻」そのものでもある「美は余韻なり」と今の僕は言い切っておきたい

「美はただ乱調に在る。諧調は偽りである。真はただ乱調に在る」
と大杉栄が遺し、瀬戸内晴美(寂聴)が簡潔「美は乱調にあり」とした
この言葉に思いのほか巻き込まれていたのは、何を隠そう自分だった
「美は乱調にあり」なんど見てもなんど詠んでも、その度にゾクゾクする
とかく日本の美しさは乱によって芽吹き、乱によって育まれた節がある
西行の歌、狩野派の絵画、観阿弥世阿弥の能、千利休の茶の湯
これら日本を代表する美の傍らには絶えず文字通りの「乱」があった
「乱」とは、破であり壊であり、詰まるところありったけの引き算でもあり
ただただ、わからないものでもある、そのときその渦中では命がけの
命がけ故の余計なものの削ぎ落とされた、それこそ研ぎ澄まされた
インプロビゼーションの中で新たな「美」の創造を引き起こすのだろう

氷が水となりやがて蒸発する様に「美」が「乱」なればまた「余韻」もある
全くの見当違いで誰も言わないか、もうすでに誰かが言っているのか
気にはしないが「美は余韻なり」とこれからは口癖になるかもしれない

「美しい花がある。花の美しさといふものはない」

言わずと知れた『当麻』での小林秀雄の言葉を失うほどの大名句だ
事実はじめてこの言葉に接したとき、ドカーンと真っ白になってしまった
まさに「余韻」ある、なんという力強くも美しいワン・センテンスだろうか
試しに「美しい花」と「花の美しさ」とはそれぞれ何か思い浮かべてみる
それこそ勝手な解釈と言われるかも知れないが、嬉しくも心強いことに
この大名句こそ、美とは「余韻」でもあることを証明し支えてくれている

接した傍から忘れてしまうような「余韻」の無いものに「美しさ」は無い

 
 
 


 
 

January 10, 2008

人の行く裏に道あり花の山

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October 26, 2007

月を 想うなら

Waiting_for








「面影の 忘らるまじき 別れかな 名残を人の 月にとどめて」

                                  師 西行

October 05, 2007

風に吹かれて

Outdoor_cafe

 
 

「もっともたいせつなものは、ひととのかんけい」

と『星の王子さま』のサン=テグジュペリはどこかで書いていた
ごく当然だけれど、まさに「大切なものは、目に見えない」のだ

信州のキャンプ場にて、風に吹かれ、飲んだ珈琲をふと思い出す
友人が焙煎されたばかりの珈琲豆を用意してその場で挽いてくれた
最低限の器具ゆえ、おそらくあの豆なら通常はより上質に違いない
しかし風に吹かれて飲む珈琲の「質の違う」あの美味しさは何だ?
「その答えは、風の中さ」とボブ・ディランならキメるところだろう

それにしても、ここで思うのはTriumph乗りでもある友人S氏だ
キャンプする皆のために焙煎されたばかりの珈琲豆を用意する
ちょっとしたことと言えばちょっとしたことだけど、これが難しい
見返りも何も求めないさりげないボブ・ディラン級の「もてなし」

自分の時の流れを思うとき、そんな友人の存在はきわめて大きい
「お互い一緒に楽しもうぜ」という無償的な「もてなし」はやがて
ボディブローのように、じわじわひしひし、と確実に効いてくる
それはいったいどういうことか?自分の「何が」「どう」なるのか?
・・ありがたい・・感謝の気持ちのようなものが、生まれ育ってくる
その場では面と向かって本人へ直接的に言うことはないけれど
過ぎ去ったその情景をつらつらと、ふいに思い返す自分がいる

「もてなしてやろう」あるいは「もてなして欲しい」と言う訳ではない
そういったところを超えた自然な気持ちのあり方、状態

さすが英国車乗りクラスは違うね
 
 
 

September 29, 2007

ショートケーキの食べ方

Strawberry_on_the_shortcakeand_you


 
ひとつのショートケーキを
不特定多数の人が出入りする場所で、なかば隠れながら食べた
そうするつもりはなかった、けれど状況、に思わず巻き込まれた
おもむろに素手で掴みつつ、唐突に誰かに見付からないように
周囲を気にしつつ気にしつつ慌ててショートケーキにかぶりつき
口のまわりにクリームを付けている、ふたりのいいオトナだった

こんな緊急時、その愛嬌を美しく発揮する女性は有利に違いない
誰かに見られても、ただにっこりすれば、たちまちの魅力的解決
などとどうでもいいことを彼方で意識しつつ、とにかく詰込み食べる
しかし、じつは、これが、意外と、思いのほか、タイヘン、だった

ひとつのショートケーキをこそこそと慌て隠れ小さくなって食べることの
なんという大変さ、味気無さだろうか、ふつうにケーキフォークを使い
くつろぎながら食べるケーキなら、ほんのあっという間のぺロリだろう
そんな、あっという間の、その間の中に確かな満足感があったりする

人生の物事のほとんどはこのショートケーキの食べ方のようなものだ
とお互い頷き合う、かすかなハニカミからどうにも抑えきれない笑いへ
ホントのところ、この笑いが食べることを ことのほか難しくさせていた
そしてこの笑いこそ、僕らの呆れた行為の理由と意味と免罪符だった

人生はショートケーキの食べ方だ 
 
 
 

September 17, 2007

トリップするカメラ

Xlh883touringblog

Vivitar Ultra Wide&Slim Photographed by S.S 
 
 

ホントに久しぶりのキャンプツーリングでのひとコマ
場所は信州の八ヶ岳、野辺山にほど近い川上村だ
オートバイで抜き去った僕を自転車のS氏が撮影した

カメラが好きで写真が好きだから、これまで色々とさんざん
撮ってきた、個人的にとくに興味深いシーンはなんといっても
圧倒的非日常の瞬間が垣間見えるオートバイ走行中のカットだ
こちらも走行しながらの撮影で、なにが、どう、撮れるのか
わからない面白さもある、ただ、どうも撮れていないことが多い
しかも、このような撮影は難儀なうえにやはり危険ともいえる
つまるところ、自分のオートバイ乗車中の写真は驚くほど少ない

不意にこんな写真が送られてきて、つい嬉しくなったけれども
こういった話はどうでもいい、本題はこの写真を撮影したカメラだ

Vivitar Ultra Wide&Slim

安さ、軽さ、チープさ、その描写、そして携帯性
それでいて、22mmの広角レンズが装着されている
まさに、トリップするカメラとしてタイヘンふさわしい
トリップするとは、そのまま旅の道連れ道具として
それと、その旅から帰ってきてのフィルム現像後だ
S氏から送られてきた数枚はどれもみなグッときた
記憶や思い出などと似たような懐かしい質感がある
いっぷくキメなくても、見るたびにトリップさせてくれる
品格あるトリップ感とそのシャープさはLC-Aよりも上質
とにかくデジタルのカメラでは、ますますムリな描写感だ

Vivitar_ultra_wideslim2


四スミケラレのトンネル効果っぽさ、強めのコントラスト
ある程度のボケ、超広角、それら絶妙の描写と色合いは
レニングラード光学機器LOMO LC-Aを彷彿とさせつつも
22mmでこの気軽さ気楽さの超携帯性はちょっと他にない
カメラのひとつの方向性として、忘れるくらいの携帯感は
かなり大切なことではないかと、よりいっそう強く思わせる
大概の人は、カメラが無ければ写真を撮ることはできない

クルマもバイクもカメラも「あ、そういえば、持っていたんだ」
くらいの意識のモノがホントはちょうどいいのかもしれない

バッテリーも電池も使用せず、エコ
トイカメラに嫌悪感がない人にはかなりオススメ

Vivitar_ultra_wideslim


All Photographed by S.S画質はすべてそのまま
Vivitar Ultra Wide&Slim

サイズ:W100×H58×D26mm
重量:約75g
レンズ : 22mm プラスチックレンズ
シャッタースピード : 不明:単速
フォーカス設定:1.5m~∞
使用するフィルム : 135(35mm)フィルム
フィルム送り: 手巻き
フィルムカウンター : あり
 
 
 

September 01, 2007

想うなら、月

Moonbeams

 
 

「みな人の知り顔にして知らぬかなかならず死ぬるならひありとは」

「蓬生にいつか置くべき露の身はけふの夕暮あすの曙 」

「我もいつぞあらましかばと見し人を偲ぶとすればいとど添ひゆく」

慈円


「ゆくへなく月に心のすみすみて 果てはいかにかならんとすらん」

西行


「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかやあかあか あかあかや月」

明恵
 
 
 
 

August 15, 2007

日本人よ、日本に帰れ

Renippon

長崎県出身の防衛大臣だったエライ人が原爆投下について
「しょうがない」 と言ったことに対し、来日している中国人の
ふたりの友人が、凄まじい勢いで、いまだに、怒っている
さらにアメリカ国内でのより積極的な肯定意見に対しては
なぜ日本人はもっと怒らないのか、なぜ議論しないのかと・・
念のため、繰り返すと”中国人の彼らが言っているのです"

どうもこの話になると、核心のところで僕は立場がなかった
こんなことは馬鹿げている、まったく馬鹿げているけれど
常に気持ちのどこかに大日本帝國の陰があるようなのだ
日本の教育を受けた人のほとんどは潜在的に備わっている
日本人であればごく普通のコンプレックスなのかも知れない
あまりにもあたりまえ過ぎてその存在すら気付かないかも
これはもう教育による、ある種のマインドコントロールなのか

東京裁判におけるインド代表の判事だったパール氏の詳細を
つい先日はじめて僕は知った、ネットの素晴らしさのひとつだった
検索すればすぐに分かるからここで詳しくは載せないけれど、彼は
極東軍事裁判(東京裁判)で「連合国側は、日本大衆を心理的に
支配しようとしている」と批判し、判事の中でただひとり日本人戦犯
7人の全員無罪を主張した、後日来日したとき彼はこう言ったらしい

「勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるならそこには
正義も法律も真理もない。われわれは失われた法の真理を奪い
返さねばならぬ。今後も世界に戦争は絶えることはないだろう。
世界は国際的無法社会に突入する。これはニュルンベルクと東京
で開かれた連合国の国際法を無視した復しゅう裁判の結果である
ことを、われわれは忘れてはならない。日本は独立したといってい
るが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたけ
れば、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法
の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた
自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも
直っていない。日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい。」

なんという理性だろう、なんという大局観だろう
パール氏は戦後のたった数年間でこう言い切っていた、見破っていた
これこそ今の日本の現状だ、今後より重くなっていく言葉に違いない
ただ、彼のこのフェアな理性ある言葉に僕は全面的に賛成ではない
「勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるならそこには
正義も法律も」ないのは分る、しかし「真理もない」ということはない
この日本ではそういった中にこそ、真理を見出してきた厳しさがある

あっさりとひと言で言えば「勝てば官軍、負ければ賊軍」になるだろう
だからこそ出家する者は「あはれ」と言い、将軍は「あっぱれ」なのだ
実は「あはれ」も「あっぱれ」も本来の意味はまったく同じところにある
そんなこの国の人ひとりひとりの勝ち負けに対する圧倒的な厳しさ故
江戸は世界有数の高度な文化をも持てたし、維新後は国際社会から
「一目も二目も置かれる」アジア唯一の国家となってそれを守ってきた

さらに敗戦国の立場から瞬く間に世界有数の経済大国にまでなった
すべては日本人の圧倒的な厳しさとそこから生まれる日和見主義だ
形勢の有利な方につく、素晴らしく鋭い敏感さを日本人は備えてきた
ただの日和見主義じゃない、狙っている、静かに虎視眈々と狙っている
ほんの僅かでも、ほんの些細なことでも他人を越えようとする勤勉さは
優しくもなく甘くもない、だから決して曖昧ではない、日本人はシビアだ

しかし今の日本人はアメリカの狙い通りに日本人であることに誇りを持つ
ことができない、純粋な愛国心と言うものがない、経済一流政治家三流
アジア地域においてもっとも外交能力のない国などといろいろ言われてる
言いなりになってくれる、お金は出してくれる、論理的に、冷静に考えて
日本はアメリカの精神的植民地だと言っても、けっして言い過ぎではない
「これは独立でも何でもない」という遥か昔のパール氏の言葉が迫ってくる
ここから脱出するには、彼の言う東京裁判史観という歪められた自虐史観の
呪縛を解いていくほかはない

それには日本の参戦から敗戦に至るまでの歴史を客観的に事実通りに知る
必要がある、そしてこの戦争を当の日本人が理解するにはその前の第一次
世界大戦や世界が驚き日本中が沸いた日露戦争を知らなければならない
さらにこれらを知るには明治維新を理解しなければならない、明治維新を
理解するには江戸時代を深く知らなければならないし、その前の戦国時代は
もちろん平安時代や大和朝廷といった権力の歴史の理解が必要不可欠だ
また唐や、高句麗、百済などの近隣地域との関係などもこの国の成り立ちを
可能なかぎりブレなく捉えるためには知っておいて損はない

そういった歴史事実を深さと奥行きをもって理解するには、平行してもうひとつの
日本を構築していった、みやび、侘び寂びなどの日本独自の様式やその文化
さらに芭蕉、千利休、西行、空海など日本のスターやイザナギとイザナミといった
日本の神々、また神と仏の関係やその神仏習合などの知識はどうしても欲しい
とにもかくにも歴史を正しく確かに客観的に知ろうとする好奇心がすべてだ

結局のところ、この国の歴史を知らなければ、現在を理解することはできない
今が理解できないなら、将来はいつまでたってもやって来ない、まさに未来だ
靖国、原爆、安保、憲法などあらゆる問題の議論とその着地点はこの国の
深部を理解しているかどうかによって、途方もなく大きな違いとなってくる
パール氏の「日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい」を言い続けたい

日本の深部へ、その本質へ
これは権利でもあり義務でもあり、言わば日本人へのある種の心理療法なのだ
心の奥底から「日本人であってよかった」とより多くの人が思えるように
ただただ願う、葉月の日々

August 04, 2007

花は桜木、人は武士

Sakuragi

 
 

先日の「花は桜木、人は武士」について、もうひと掘り下げ

この一休さん絡みの慣用句「花は桜木、人は武士、柱は檜、
魚は鯛、小袖はもみぢ、花はみよしの」にある、花は桜木の
部分がなぜか引っかかっていた、どうしても釈然としなかった

日本では本来、花とは桜に決まってるし、花はみよしのの
みよしのとは、西行さんも愛でる、あの山桜で有名な吉野山
のことかと思う、ひとつの句に花は~と桜がダブって不自然で
すっきりしない、まあそれなりに疑問に思う人も多いはずだから
ここのところを追求している記事にも容易く行き当たるだろうと
ネット検索してみたら掲載されたほとんどがこのタイプの句で
そうなのかな?と諦めかけた、ただその中にたったひとつだけ
「花は桜木を付けてしまっているのは、誤解」という、これはッ!
の納得する記事のブログがあった、やはりはじめはアタマに
花はみよしの、があって次に、人は武士、となっていたらしい
それが、花は~といろいろ変遷しやがて、花は桜木に落ち着いた
という訳だった、だったら後の、花はみよしの、は無くていいじゃん
とも思うんだけど、よくよく考えてみればこれこそ慣用句なのです
よく使われる言葉なのです、変化することはごく当然ともいえる

つまり間違いや誤解ではなく、余計な疑問の時間の浪費だった
でもあらためてネットの膨張性を体感した、これらを孤軍奮闘して
出版物や図書館で調べたら気の遠くなるような時間と労力だから
かまけて調べない、調べないから判らない、判らないから求めない
「求めよ、さらば与えられん」なのだ、しかし求めて与えられたなら
その世界は確実に拡がっていく、深く豊かに拡大していくしかない
宇宙が膨張していくなら、人の世界がそうなっていくことも摂理だ
その弊害もあるけど、いとも簡単にそれぞれの世界を膨張させる
このネットワークにのみ込まれる事なく活用し如何に選び取れるか
とにかくこういった初歩的な疑問こそ、膨張世界への扉に違いない
ずーっと大切にしていきたい

なんてったって「花は桜木、人は武士」の繋ぎによる語呂語感の
潔さ、格好良さ、そしてその余韻、文句のある人はいないだろう

 
 
 
 


August 01, 2007

暑中お見舞い

Super_dry_2

 
 
 
 
 

July 30, 2007

千葉能

Nougaku

 
 
 

今回は友人達をも巻き込んだ

幽玄幽艶なる、舞を舞う、世界へ行ってきました
「能楽」という日本文化の誇るべき伝統芸能です
日本の本質へ近づく為にはどうしても避けられない
どうせ避けられないなら、いろんな意味で贅沢な
自分なりに満足するものを観たいと考え、お勉強

最近は能舞台の関係からホールが多いようだけど
野外の能舞台で薪を燃やす薪能だけは外せなかった
雰囲気もあるし、その幽玄さにもつつまれたかった
調べていくうちに、千葉能の存在を知ったのです

千葉県文化会館の西側広場に能舞台を設置して
午後6時から行なわれるそれは、もちろん野外での
薪を燃やす薪能で、そんな薪の炎のあかりに揺れる
舞台の向こうには千葉城の天守閣が浮かび上がる
という、これ以上無いまさに求めていたものだった
室町幕府将軍足利義満からつづく観阿弥、世阿弥が
芸祖の観世流二十六世現家元の観世清和氏といった
出演者の面々、初能楽の僕になんの不足があろうか
それも、こんな近くの地元の千葉県での公演なのです

日本の本質へ向かう為に避けられない能楽云々とは
僕が勝手に思って言ってるんだけど、その能楽の根底に
五穀豊穣、無病息災、家内安全の祈願というのがあって
一年以上会っていなかった、たいせつな友人夫婦を招待
同じく親しい友人達を誘い、さらに千倉のカワさんも誘って
この避けられない一人旅はあっという間の御一行となった
「旅は道連れ、世は情け」おまけの「花は桜木、人は武士
柱は檜、魚は鯛、小袖はもみぢ、花はみよしの」って感じ?

 
Tibanou_2

いちおう囃子方の、笛、小鼓、大鼓に関心はあったから
そこだけは、しっかりと観ていた、観るようにしていた
そもそも能楽の音とは、この笛の初っ端の「ピヒョーーッ」
のきわどい音程が基本となって、そこへ小鼓大鼓の奏者が
きっちりと合わせていく、ということになっているらしい
その日の湿度、気温、それに奏者の体調などによっても
この笛の音は微妙に違ってくる、それを小鼓大鼓の奏者は
それこそ研ぎ澄まされた感性によって、すかさず聞き分け
そのときの笛の音に合った「イヨーーッ」の掛け声とともに
その場の気のようなものを取り込みつつ、おもむろに鼓に
打ち込んでいく、緊張感ある一瞬一瞬のつながりなのです

それ以外はよく分らなかった眠かったなぁ、という印象だった
とにかく「お能」の世界はあらゆるものを削ぎ落とした結果の
徹底的に抽象化あるいは象徴化された動きといえるから
それを観る側の想像力や感性も同時に要求されているのだ
能楽になにかを感じるとしたらここだ、僕のよく分らなかった
眠かったという事実は、その要求に応えられるだけのものが
まだ備わっていない証拠ともいえる、花までの距離は遠い

ただ、よく分らないなかに、はじめてジャズに接したときと
同じようなものがあった、見栄でカッコつけで聴きつつも反面
何かがある、よく分らないけどもそこには確実に何かがある
自分にとってあたらしい世界がある、といった何ともいえない
ジレンマと共に、どこか期待する気持ちも生まれてきている

ジャズですら自分なりに理解するまで10年はかかったのだ
 
Tibanou2_2


この日いちばん楽しかったのは、その後の皆さんとの食事
あのメンバーが一堂に会するのはなかなか難しいもので
これもある意味「お能」が施してくれた御利益だったりして
皆様、勝手なお願いを受けてのご参加有難うございました
こころより御礼申し上げます、できれば来年も観たいなぁ

しかしこういう文章って、漢字が極端に多くなる

 
 
 
 

July 29, 2007

じょうず、です

 
 

Coooool Surfing!

Jaws


Cool Surfing

On the North Shore of Maui, Hawaii, - Jaws wave
 

 
 

July 27, 2007

誠意とか

Suiren
 
 
 


すっきりと美しいスイレンは心を素直にさせる

深く豊かな魅力ある内面を感じる人に対して
表面的に浅はかな言動を僕はとってしまった
それでもその人はその内面ゆえ対応してくれた
しかしこのギャップに気付く事ができなかった
空気の読めないジコチューとは僕のことだった

そこまでの人間でしかなかった、野暮なヤツ
などという言葉では、とうてい、すまされない
その人を困惑させ嫌な思いをさせてしまった
人生はみんなうれしくたのしくなるためにある
「絶対」に、避けなければいけないことだった

迷惑を掛けてしまったその人にごく近い存在で
僕を諭しながらもフェアに接してくれる人がいた
誰もが慕う、感銘を受ける、そんな魅力ある人だ
彼女は僕のまずさへのアドバイスだけではなく
有り難い事に今後の口添えまで申し出てくれた
しかしこれ以上、迷惑を掛けることは許されない

そのひと言だけで十分だった、本当に十分だった
普段は意識して思わない誠意とか誠実さとかが
ぐわっと迫ってくる、というかこういうようなときは
ただそれしかない、まったくそれしか通用しない
反省するハートの奥底で、今はそう確信している

世の中って難しい、と思わず出た陳腐なことばに
ごくあっさり「そう、難しいのよ」と慈悲ある表情で
即答したこの人の理解にどれだけ助けられたろう
辛うじて自分を前向きに保つことができたと同時に
日々の人に対する接し方あり方を改めて痛感した

誠意や誠実さによって今は前向きにいくしかない
ぎこちなくてかっこ悪くても前向きにいくしかない
人生はみんなうれしくたのしくなるためにある
すっきりと美しい内面の素晴らしさをつよく感じさせ
花のような魅力ある人を困らせてはいけなかった
 
 
 
 

July 18, 2007

スウェーデン西海岸発

From_the_swedish_leftcoast

ELECTRONIC MUSIC FROM THE SWEDISH LEFTCOAST
plej :Arvid Niklasson&Erik Niklasson
 

研ぎ澄まされた感性

というような言い方やそれに近い言葉を最近よく持ち出してる
でも微妙に曖昧だから他の言葉にするなら、選んでいく能力
常に、厳密に、選んでいく能力、と今の僕は言い換えるかな
判断力、だけでも間違いじゃないけど、より曖昧になっていく
物事のまさに無数にあるものの中から、ひとつだけ選ぶ能力
まったくその反対に、どうしても、なにが何でも選ばない能力

露出オーヴァーもアンダーもブレもボケも、音楽にシンクロさせ
フリーとイージーなラフさの気楽な軽い気分で作ったかの様に
それを観る人へ感じさせ思わせ、実はすべて隙のない選択
これらひとつの矛盾も破綻もなくカタチにした映像編集センス
こんなクールな映像へは最大級の賛辞を贈ることを選びたい

You_tube

you - plej

「微に入り細を穿つ」を鋭く高いところで保つ「やわらかアタマ」
ストイックなタイトさと大胆さを注意深くバランスさせてる北欧
それは音楽にも、家具、自動車、家電などのデザインにもある
あればあるほど感じさせない、研ぎ澄まされた北欧の感性の
洗練された余韻は時を経て、時代を超えて、いつまで経っても

オシャレ





July 15, 2007

サーフィンは発芽する

Sprout
 
 
 
本・音楽・千倉仲間で自転車仲間で写真仲間でもある
S氏からトーマス・キャンベル監督のサーフィン映画DVD
sprout』を借りた、ヤバイ、これはかなりヤバイです

ごくふつうのサーフィンモノとくらべてあそびが多いです
あそびというか、おふざけ、これもサーフカルチャーなり
全体にわたってスローな映像だから、どこかアンニュイ
そしてその世界をつくっているのが漂流感ある音楽です

しかもこれクラブのDJが選ぶようなクラブミュージックだ
サーフ映像にサーフミュージックって、ホントは合わない
この音楽を主役に波乗り映像をただ眺めるのも悪くない
映像自体に文句はない、どころかその編集も素晴らしい

あそびがあって、チープさをもとり込んだ自由なつくりは
誤解されやすいけど、その映像編集は研ぎ澄まされてる
途中にはさまれるアニメーションに『The Way of Zen
なんて本がさりげなく出てきたりしてそんな雰囲気がある

そんな雰囲気とは、ユーモアとすべてを楽しむ敏感さです
そしてそれはブルース・ブラウンの感覚に源をみるのです
サーフィン映画を知らしめた『THE ENDLESS SUMMER
スティーヴ・マックィーン出まくりの『ON ANY SUNDAY

The_endless_summer_2

どちらも、楽しむという感性を敏感に発揮している作品です
ブルース・ブラウン作品はタイトルもこれ以上ないほど完璧
この『sprout』の意味は発芽、芽生え、芽吹くの状態らしい
サーフィン、波乗り、ライド・オンな人達すべてが持っている

「発芽していく」そんな思想のようなものを感じさせてくれる
それは身も心も前向きな自由に向けて楽しむ感覚の芽吹き
『sprout』を観ていくうちにすんなりと自然にそうおもえてくる
ところにレジェンド・サーファーのジェリー・ロペスが出てきた

ジェリー・ロペスが出てきて、あれ、おかしいなと僕は思った
この『sprout』を観ていないはずだから、友人に借りたのです
しかしジェリー・ロペスがヨガ、の映像を僕はすでに観ていた
それでも他の映像はまったく記憶にない、音楽も記憶にない

一服きめてたのか?やはり千倉のカワさんと観たのだろうか
記憶が抜けてる、そんな意味でも、ヤバイ、かなりヤバイです
このサーフィン映画の最後の最後にナレーションがひとつ入る
充足感ある波乗り映像を80分も観た後の説得力はあるのです

「可能性をムダにせず心から今を楽しむこと人生はそれがすべてだ」


それからやっぱり持つべきものはサーフィン映画仲間なのです




July 11, 2007

美夢中落花樹

Hubuki_1
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli

 



はな 
 
 
 

July 07, 2007

日本の本質へ

わかる人にはわかるけれど 

「 わたしのまちがいだった
  わたしの まちがいだった
  こうして 草にすわれば それがわかる 」

八木重吉さんが、遺したことばです

振り返ってみれば、ぼくが最後に
草にすわったのはいつだったろう
思い出せないくらい時が横たわる
そう、草にすわって 確認をしたい

On_the_green


言葉が枯れて、一年ちょっと潜んでいたあいだ
わかる人にはわかるけれど、本を読みまくった
豊かに深くそして美しい一冊に出逢ったからだ
この本については、何れ書くと思う、いや、書く
ここからの僕の変り様は凄かった凄まじかった
僕の何が、どう変ったのか、どう凄かったのか
気持ちの向き、あり方、方向が見事に反転した
わかる人にはわかるけれど、日本の本質へだ

その反転する以前、気持ちはどこへ向かっていたのか
と言われたら西欧とか欧米とかのスタイルに間違いない
なかでもアメリカには強烈な影響を受けたと言い切れる
西欧の、ファッション、絵画、音楽、映画、文化、考え方
そんな様式とも言える西欧のスタイルをただ求めていた
求めているのは僕だけではない、日本人の大多数だろう

アメリカによる原子力爆弾をきっかけとして、その歴史だけは区切り
そこへ、現実的にはこれ以上ありえない超理想国家のものといえる
憲法第9条をアメリカから与えられその本質と引き換えに再生した国
この母なる日本に生まれアメリカのやり方の恩恵を受け育った人達が
強いアメリカをある種の父親として、潜在的にあるいは過剰に意識して
捉えて、そのスタイルへ向かう事は人間として、ごく当然だとも僕は思う
あまりにも当り前すぎて、それすら考えなくてもいい事なのかも知れない

このスタイル、このアメリカのやり方の先に、つまりは西欧、欧米文化を
支え、支えながら造り出し消費していくサイクルの先に、資本主義がある
欧米文化とは割り切れる世界なのだ、もしくは割り切っていく世界だろう
音階、+-、数値などに、置き換えられ、割り当てられ、区切られつつ
すべて明示される、割り切れないものは、あっさりと、切り捨てられる
これこそ欧米文化であり、その圧倒的な資本主義の強さとカッコよさだ
この素晴らしくも心地良い強さとカッコよさに僕はどっぷりと浸っていた

しかしある日、豊かに深くそして美しい一冊の本に出逢ってしまった
出逢って心を奪われたと確信したなら、その人は動かなくてはいけない
そこから日本の土台基礎が幽かに自分なりにわかる程度まで到達した
日本の人である僕は日本という国に対してほとんど理解していなかった
わかったのは、それだった、ほとんどを理解していなかった、日本への
僅かな知識も、誤解していた、間違って捉えていた、の呆れた連続だった
僕は日本が分かっていなかった、分からないから意見も、何もなかった
意見も何もないとは、動きようがないということで皆さんは僕の仲間です
日本とアメリカ、あるいは中国との関係、省庁や官僚の問題が良い例だ
判り易いところだと、社会保険庁でのあのような事実や実態に対して
マスコミ先導型のスクエアな日本の「国民感情」が大爆発を続けている
しかし社会保険庁はそのままあるし、与党はそのまま政治をしている
結局そのままかそのまま先送りだ、そしてその先でもそのままのままだ

これら原因は、すべて教育の中にこそある、と今の僕は言い切りたい
とくに歴史の教科書は酷い、日本人で良かった、と思える箇所がない
では事実そうだったのか?いやそうではない、と僕なりに確信している
しかし戦後は日本人で良かったと思えるときなどなかったのではないか
さらに言うなら、心の底から日本人で良かったと思える人が今いるなら
その人は本質のところで、たぶん日本人ではない、たまたま日本に
縁のあるその日本との、金の切れめが縁の切れめ、のただの人間だ
魂も思考も客観も意見もない、だから個人もない、ただの人に過ぎない
つまり、日本人で良かったのではなく、日本に生まれて良かった人だ
ただの人が、生きていく所として、これまでの日本は最高の場所だった

このことを察知して、日本の本質へ正しく確かに導ける教師や身近な
大人などがいるなら、その子供達は運がいい、しかしごくごく少数だろう
歴史に興味がほぼ湧かなかったのは、そんなところもあるのかとも思う
僕が通学した高校は授業選択がたいへん自由な当時珍しい学校だった
当然のごとく歴史ではなく地理を選択した訳だけれど、最初の授業での
その教師のことばを今でも覚えている、生徒は7、8人しかいなかった
「地理を選択するお前らはおかしい、普通じゃない、わかるだろ?」
後日、県立高校の教師である彼が縦目のメルセデスで通勤しているのを
見たとき、初めて彼のことばに頷き納得をした、大学は地理学を専攻した
はなしがだっせんしすぎた

じゃぁ日本の本質とは何か、と訊かれたら、それは日本語という言葉です
と確信を持って今では答えることができる、日本の本質はコトバにある
コトバとは、気持ち、心、思想、教養、情報、社会、考え方のすべてだ
日本の考え方は本来、割り切れないものを切り捨てたりはしていない
割り切れるものと割り切れないものがあることを理解し、共存させている
だから甘い世界かというと、まったくその反対だ、厳しさは徹底している
そこに日本の圧倒的な美しさがある、そこに日本の豊饒の奥深さがある

この日本語をかたちづくる基本的な文字として存在するのが、ひらがなだ
中国から取り込まれた漢字をくずしつつその読みから音をも与えていった
当時の日本では手本となるこの漢字を真の名ということで真名としていた
これを基に日本で創られた新たな文字は仮の名となる、これこそ、かなだ
シンプルに言えば音によってもつくられている、と言っていいこのかなこそ
日本語の美しさ、幽玄さを表している、和歌や俳句などを読むとき感性を
研ぎ澄ませ音読すれば、その流れるような心地よさに気付くかもしれない
本来は、文字、文章というものはすべて、誰もが声に出して読んでいた

そして今で言えば恋愛小説である、紫式部の『源氏物語』は決定的だった
日本語は恋愛小説をもって完成した、僕がそう言いつつ感銘を受けるのは
ここだ、『源氏物語』がこの地で広く読まれたことによって日本語は定着した
恋愛とは人間の結晶のひとつの核でもある、驚嘆する爆発力を秘めている
この恋愛という核を文学、哲学、物理学、科学、医学その他あらゆるものが
どこまで追求していってもこの先解明されることはないだろう、しかし日本は
その恋愛をも自由に豊かに表現できる言葉を世界に先駆けて手に入れた
「小説があるのはフランスとチェコと日本だけ」と、どこかで聞いたことがある
それだけ日本語は文法的にも言葉自体にも自由度が高く解釈は多様になる

だから日本語は難しい、そしてだからこそ魅力がある

すぐ傍にこれだけ魅力的なものがあるのに、知らず、理解せず、求めず
という僕は、どこか、すこし、というよりも、本当に、おかしいのではないか
そう思ったとき、ここに気付いたとき、間違っている、と一瞬でも思ったとき
機関車が方向転換するときのように、そのターンテーブルに、僕はのった
もちろん自分なりに求めてきた、これまでの動きを否定するわけではない
「それは、間違っていないでしょう」と、やさしく言い放ってくれる人もいた
これまでの求心力、推進力があったからこそ、日本の奥底を意識できた
境界を越えた向こう側のより遠くから日本の本質を眺めることができれば
よりフェアに、より客観的に、より正確に、それを捉えることができると思う

これからは日本の本質へ、と言っても修行や出家をするということじゃない
欧米のファッションも音楽もスタイルも文化も、その感性も愛すべきものだ
ブーツや革ジャンなども着用するし、ジャズやクラブ系といった音楽も聴く
ノルウェーやニューヨークのライヴハウスと美術館等まだまだ興味があるし
ハーレーもまだまだ乗る、そんな選択眼や審美眼はシビアに持ち続けたい
それらを大切にしつつ楽しみつつ拡げつつも、これからは気持ちの重心を
日本の奥底へ置きたい、三島由紀夫や司馬遼太郎がそうしたように

日本人は何れ、日本の本質へ向かう、アメリカ人はアメリカの、中国人は
中国の、イタリア人はイタリアの、キューバ人はキューバの、その本質へ
さらには、その家族へ、母や父へ、自己へ、あるとき生まれたものが外へ
向かっていき、あるところを到達点にしてやがてしずかに返ってくるように
物事は本質へ向かうことになっている、あるいは向かうしかないのだろう


そしてこれは僕の勝手な、意見でも希望でも確信でも宣言でもあるのだけど
中でもこの日本の本質とは、他に類を見ないほど高みにあり奥深く洗練され
稀有に優れた奇跡の、まさに行ってみるに値する、感能の世界ではないかと

わかる人にはわかるけれど、僕にしてはマジメすぎた、まぁたまにはいいかな
 
 
 
 

July 04, 2007

美夢中落花樹

Yumezakura
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おちゆく 
 
 
 

July 01, 2007

ニンジン

Ninjinn_2

 

オートバイの保険の手続きで行きつけのショップへ行った
帰り際サチョーの奥さんに、ニンジン持っていく?と言われ
頂きます、と笑顔で即答、立派なニンジンさん、5本貰った

かたち、色合い、匂い、雰囲気、まさに、ニンジンのカガミだ
なんでも奥さんの弟さんが、種から丹精込めてつくったらしい
人が手を掛けた分だけ、それに応えてくれる自然の摂理です
なんとなくこのニンジンさん、食べてしまうのがもったいないと
さえ思いつつ、その味と甘みが濃厚でバリ美味いとのことです
よしニンジンさんの煮物をしよう、もちろん薄味、あとカレーかな

今の僕にはこういう野菜のおすそ分けはホントにうれしいから
うれしい、うれしい、と言っていたら、そこまで喜んでくれるなら
こちらこそあげたかいがある、と反対に喜ばれてしまったりして
よりうれしくなったのです、では 出来るかぎり美味しく頂きます

それがニンジンさんと皆さんへの、お礼です 
 
 
 

June 30, 2007

美夢中落花樹

Hubuki_1
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli

 



なかを
 
 
 
 


June 29, 2007

ケミカル兄弟

We_are_the_night_2




 日本美へ気持ちが向かいつつある今も
The chemical brothersはやっぱり好きだ
今までのながいあいだ僕らをノセてくれた
これからもそのDJで踊らせてくれるだろう

ダンス、テクノ、ロック、デジタル、ブレイク
その音楽をひとくくりにする呼び名はない
あるのはケミカル・ブラザーズの、ビートだ
New ALBUMが出るそばからの物足りなさ
その理由を僕らはもう当然に、知っている
ひとり座っておとなしく聴く音楽じゃぁない
フロアやクラブでそのビートを身に浴びたい
その最たる場所こそがフジロックフェス

あの奥深い、山々に囲まれた苗場の地で

あの大自然、の地でタマシイを揺さぶられ
あの大音響、に身を打たれて取り込まれて
あの大歓声、の前後左右踊る人にのまれ
あの大興奮、に大興奮の高揚感に溺れて
あの大開放、の嬉しさ楽しさにもってかれ
あの大放心、に虚脱した身も心も漂わせて
あの大空間、の彼方へ遠く連れて行かれ

今までのながいあいだ僕らをノセてくれた
きっと、これからもあのDJで踊らせてくれる
ケミカル・ブラザーズのビートがあるかぎり

日本美へ気持ちが向かいつつある今でも
やっぱり好きだThe chemical brothersが



June 25, 2007

美夢中落花樹

Yumezakura
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli
 
 
 
 
ゆめの 
 
 
 

June 24, 2007

言霊さん

Otyazuke

 

たとえば、何々になりたい
と、声に出して言えるなら
なにかが後押しするだろう

それなのに、詩人になりたい
という言葉を出す、その瞬間
拒絶され、もうあっという間に
押し出され、遥かかなたへ
連れ出され、詩そのものから
遠く隔ったところに、僕はある 

と、山本山の海苔茶漬けを
ひとり食べながら、ふと思う


梅干し、ひとつ

かな

 

June 20, 2007

美夢中落花樹

Hubuki
halukazenohanaotilasutomiluyumehasametemomunenosawagunalikeli


ひとつの小さな、ひとつの何かが、ひとつの断片が、ひとつの記憶が
ひとつの感情が、ひとつの想いが、ひとつの言葉が、ひとつの面影が
幾千の絵となり像となり結晶となって、縦横無尽に意識を貫いてゆく

しかしこれ以上、ぼくの能力では、ぼくの感性では、ぼくのぼくでは
このやわらかくも貫かれてしまう情態をことばにすることができない

ただ、ぼくのこころには今、800年のときを超え、この歌だけが ある
 


ハルカゼノ ハナヲチラストミルユメハ サメテモムネノ サワグナリケリ

はるかぜのはなをちらすとみるゆめは さめてもむねのさわぐなりけり

「春風の 花を 散らすと 見る 夢は さめても 胸の さわぐ なり けり」

 

師、西行さん

 
 

June 15, 2007

なる写真

Nalu


「ない」から「ある」への「なる」

「なる」写真

まさに移ろい移ろってゆく

「なる」写真

移ろう、映ろう、写ろうの

「なる」写真
そういう写真が撮れたら
そんな何かを手にしたら
もうなにもいうことはない
「なる」写真

一生、無理かもしれない

「なる」写真

でも、やってみるしかない

「なる」写真

「ない」から「ある」への「なる」

「なる」写真

そんな、きっかけにも、なる

「なる」写真
 
 
 

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June 11, 2007

秘する花を知る事。

「花を知らんと思はば、先づ、種を知るべし。

花は心、種は態(ワザ)なるべし」
 

Zeami_1

 


世阿弥の説く、簡潔鋭利な文章を追っていくうちに
能楽にある圧倒的豊饒世界を創りあげているのは
いったい何なのか、ということをもかるく超えてゆく

「秘する花を知る事。

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。

この分け目を知る事、肝要の花なり」

秘すれば花なり・・

深い、ほんとうに深すぎる、部屋で溺れるかと思った
芸術論を超越した、ひとの在りかたの書『風姿花伝

 
 


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June 10, 2007

その曲を歌うBianca Ryan

2006年の夏、アメリカNBC放送の"America's Got Talent"という
オーディション番組の予選で11歳のひとりの少女がある曲を歌った

それはJennifer Hollidayの"And I'm Telling You I'm Not Going"だった
ひとむかし以上前だろうか、ひょんなことから知った、お気に入りの曲だ
愛するひとへの気持ちを綴った、ことを超えて、その相手に対してグイグイと
向かっていくような、差し迫っていくような、つよく要求する詞にもなっている
ひとつの曲としての完成度は高く、数多くのヴォーカリストにカヴァーされた
とくにJennifer Hollidayのミュージカルでのパフォーマンスは彼女の雰囲気と
合わせ鬼気迫るものがあり、ものの見事にアメリカだった

このJennifer Hollidayの曲を素朴さと未だ幼さを残している少女が歌いはじめる
審査員のひとりであるBrandyは、その歌いっぷりになにかを感じ、ただ首を振る
さらにほどなくすると彼女は、アメリカに認められた、つまり殆ど世界に認められた
ひとりのヴォーカリストとしての確かな自信、まさにその確信の上に立ち上がる
この瞬間、ステージ上で熱唱している少女に対しての、評価は決定的になった
と同時にBianca Ryanは世界に紹介された、もはや予選や決勝すら関係なかった
第一回目の"America's Got Talent"はBianca Ryanを売り出す為の媒体になった

Bianca_ryan

Bianca Ryan from America's Got Talent


左隣の"ナイトライダー"のマイケルことDavid Hasselhoffも、ただただ圧倒されている
Brandyの動きにつられて立ち上がろうとしつつも、俳優の彼ですらそこまでは
出来なかった、おもわず、ヘンな動きをしながらまったくずれたリズムで机を叩く
と今書いているぼくだって、もしその場にいたのなら分かったものではない
審査員であるもうひとりPiers Morganは、ほとんどといっていいほど動かない
きわめてアメリカを感じさせる観客席からの拍手大喝采のなか曲は終わりつつある
伴奏のドラマーも何かを確信してこのときを記憶に留めたらん如き最後をキメる

興奮状態に近い観客席の拍手大喝采は鳴り止まない
先ずBrandyは言う「アン、ビー、リー、バボー」後はその確認のような言葉だ
イギリスの日刊紙The Daily Mirrorの編集長だったPiers Morganは静かに熱く言う
「髪を変えて、服を変えて、靴を変える、そうすれば、キミは優勝する」
冷静で的確、マトを得たもの言いだ、そしてきわめて欧米的な言葉の使いかたでもある
すでにある飛び抜けた力に、映像的な力もしくは魅力を足していくということだろう
こういうことになったらアメリカは得意だ、そのパワーにはすさまじいものがある
ただ、彼の言葉には「キミは優勝する、だからすべてが変る」という暗示もある
(諸手を挙げて)拍手をしていたDavid Hasselhoffは「キミはスターだ」とやっと言えた

少女は優勝する、賞金100万ドル、そしてCDデビュー

いい世の中だBianca Ryanの映像を大概観た、歌唱力に関して微妙なところもあるけども
B+級以上はあるだろう、しかしこの予選の魅力を超えるものにまだ巡り合っていない
髪型を変え、服装を変え、靴を変えたBianca Ryanに、力を足されたBianca Ryanに
魅力がアップした筈のBianca Ryanに、なにか不足しているものをどこか感じてしまう
その不足したものとは、見えない何かであって、やはりそれこそ「花」というものなのか
確かに言えるのは、彼女は模倣が巧いということだ、それは目指すべきイメージが、
目指すべきヴォーカリストが、彼女の中に強烈にあるということでもあって、さらにその
イメージを再現する能力に優れている、その歌手の雰囲気をも掴み真似ている
しかし、そこまでなのだ

洗練される前の素朴さと幼さを漂わせた少女が"And I'm Telling You I'm Not Going"を
つまり「あなたなしでは生きていけない」などと、圧倒的なにかでもって歌い切るという
ある種の、ギャップ、意外性、ショック、驚きなどを感じ、そういった所に感動をしたならば
まさに世阿弥の説く世界の「花」がそこにあったということか・・こんなことを言ってると
ロリコンと思われかねないので(まぁ怪しいには違いないが)ぼくは大人の女性が
好きだと一応書いておく、もちろん単に"And I'm Telling You I'm Not Going"の楽曲の
素晴らしさもある、上手い下手に関わらず誰が歌ってもそれなりに聴かせることが
可能な曲だ、しかしその先は、身を焦がすような、刺し貫かれるような、恋とか愛とかを
辿らずにJennifer Hollidayのようには歌えない、もちろんJanisのようには歌えない
本当にJanis Joplinは凄かった、身も心も刺し貫かれていた

Bianca Ryanにどこか不足を感じるというのは、ここかも知れない、その不条理さ
その残酷さ、その幸福感、その満たされた想い、そしてその喪失感、というような
経験することによって膨張していく、こころの深さやその厚みのようなものかもしれない
もしそうなら彼女は運がいい、この先じゅうぶん期待できる、彼女は今12歳なのだ
いつか、恋とか愛とかの何たるかを知り、その模倣を巧く昇華させた後の
Bianca Ryanが歌う"And I'm Telling You I'm Not Going"を僕は聴きたい

「Change your shoes」と言われたときの彼女のしぐさは、可愛いなぁ
 
 
 

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May 29, 2007

女王

上手下手ではない。そのこころが人をうつのだ

                   小澤征爾


女王、美空ひばり、は類まれなるテンサイです
天賦の才能がさらなる努力で突き抜けます

お祭りマンボなどのテンポのはやい曲ですら
リズム、間、タイミング、すべてに圧倒される

歌うことの巧さゆえ、どうしてもかくれてしまう
その感情移入こそ、つまりはその、こころこそ
美空ひばりの魅力だった、とぼくはつよく想う

つくりごとの、アンリアルな、うたのせかい
ニホンじゅうのどこへいってもある、こころを
ごくありきたりのこころをそっくりそのままの
こころでうたった美空ひばりに、ぼくはなく

悲しい酒


もうひとり、ちあきなおみ、は美空ひばりレベルに唯一
限りなく、接近できた、歌い手に違いないだろう
彼女も演歌に限らず、様々なスタイルで歌った
ポルトガル民謡のファドなんて、せつなくて、とてもいい
ただ、彼女の作品全体にわたって、もったいないのは
その歌に対してあまりにも陳腐なやっつけ伴奏なのだ
そこに当時の歌謡業界の意識とレベルが垣間見える

ちあきなおみクラスの歌い手にはそれなりの演奏が
あって然るべきで、それが出来ないならアコギ一本で
よかったのだ、いやかえってその方が彼女の魅力が
よりくっきりと凝縮された作品になったはずだった
そうなれば、もう少しは違った時間が流れただろう
小西 康陽氏がいたらなぁ、と思わずにはいられない

まさに伝説の"The House of The Rising Sun"

どちらの女王も、いまはもう、歌っていない

のこされたその映像を観ながら、ぼくはなく
光があれば、そこにはかならず影があり、スポットライトに
光輝けば輝くほど、コントラストを強め、その影は濃くなる
歌い手として、すべてを手に入れたリアルな輝きの中で
ふたりのこころは底なしに途方もなく深かったのだろう
結局、ふたりともその豊穣なこころゆえ、歌えなくなった

そこに、ぼくはなく

そんな喜怒哀楽を綴っていくことを託された女王たちをも
ただ時間というのは奪い去っていってしまう、盛者必衰

そこに、ぼくは無く

歌舞伎町の女王にカヴァーしていただきたいね


 

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April 20, 2007

IT BEGAN IN AFRIKA KA KA KA・・・・・

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It Began in Africa

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March 27, 2007

Free Hugs Campaign.


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抱きしめる


その行為のなかには

すべてを超えてゆく

つよさ、がある

と言い切りたい

Free Hugs Campaign.
2007 YouTube Video Awards




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January 01, 2006

新年快楽

Trancy New Beat 2006!

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あけましておめでとうございます

ことしもビートをたいせつにいきます


Bakers Cafe 151A 

メールアドレス変更のご連絡をせず
みなさまにはご迷惑をお掛けしました

ぼく宛てはこちらまでお願いします
 
 

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November 25, 2005

electraglide 2005

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electraglide_2005

エレクトラグライドエレクトラグライドエレクトラグライド

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えれくとらぐらいどえれくとらぐらいどえれくとらぐらいど

electraglide_2005g




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November 20, 2005

Triumphy

triumphy
 

 
 
この写真のどこをどう切り取っても
彼は彼で、そのバイクはTriumphだ
けっして真似でもそれふうでもなく
またあたらしいでもふるいでもない
どこをどうしても彼とそのTriumphだ

けっしてぶっているのでも見栄でもなく
また勝利でも、もちろん下着でもない
どこをどう切り取ってもにじみ出るもの
それはつまり、個性というのだろうか

むりなく自然に自分をたのしんでいる


彼はTriumpherでありTriumphyだ
 
 
 

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November 17, 2005

誘拐

Starbucks

 
 

店先にあるオープンのその席に着くと、黒い猫がやってきた
よく見ると微妙な縞模様の上品な質感を持った毛並をしている
洗練さとシャープさがあり、その眼差しは隙なくきわめて鋭い

その猫にケーキ菓子のようなものの欠けらを差し出すと
素早い動きで手を出し、それからなぜかゆっくりと口にした
こちらに対して上目遣いに見たり聞き耳を立てたりしている
この猫に惹かれた僕らは誘拐しようと笑って話しながらも
一触即噛みの雰囲気があって、そこにまたつよく惹かれた

しばらくは傍にいたけれど、ふと気づくといなくなっていた
静かに、おとなしく、上品に、端正に、そこにいたその猫が
いつの間にかいない、あっけなさと勝手さと寂しさの混同した
そういった余韻みたいなもの、それがそのまま猫の魅力だった


そしてそんなネコの魅力は、あなたを思い出させる
 
 
 

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November 16, 2005

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November 15, 2005

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November 14, 2005

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November 13, 2005

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November 12, 2005

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November 11, 2005

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November 10, 2005

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November 09, 2005

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November 08, 2005

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October 31, 2005

光景

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Canon AE-1Program


いつどこで遭遇したのか、すっかり忘れている
そんな光景が、たまにふと脳裏に思い浮かぶ
思い浮かんでは消え、また思い浮かんでいた

ある日、パソコンのファイルの中から、現れる
これだ、これだ、たしかにこういう光景だった
そうか、写真に撮っていたのか、と僕はおもう
光景と呼ぶには、ちょっと大袈裟な感じもする
ほんとうに何ていうことのない無機質な写真だ
それでも、まぎれもなくこれこそ、光の景だろう

とにかく、光だろうが、景だろうが、何だろうが

この電子世界はあらゆるものを「記憶」できる

ひとの記憶、以外は

 
 

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October 26, 2005

Building Our Dream.

marine_stadium


ひいき、にしているチームが勝てば、うれしい

見返りもなにもない、単純で明快、イノセントな
この、うれしさは、とらえどころのない高揚感だ
こういう気持ちは少年の頃、たくさん持っていた
そしてその高揚感はたしかに夢へと繋がっていた

ボビー・バレンタインが言ったBuilding Our Dream.
野球がただの野球を超え、人々の夢に繋がるなら
へヴィなファンもいいなぁ、と素直に思う今宵この夜
 


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October 17, 2005

プレイオフ

BobbyValentine

 

すべてが

スレスレで、ギリギリだった
凄かった、本当に凄かった
もちろん目標は勝つことだ
しかしどちらが勝者敗者でも
それはもう、関係なかった
そう言い切ってしまいたい
その経過のその内容こそが
その圧倒的な集中力こそが
印象の素晴らしい試合だった

そしてその差はすこしだった
そのすこしの差でモノゴトが
決まっていって、進んでいく
勝負も人生も時代も何もかも

すべてがスレスレのギリギリだ
 
 
 


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October 08, 2005

ツーと言えばミーのカー

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どういうひとが、のっているのだろう

すくなくとも、ふつうのひとじゃない
ふつうじゃないからおもしろいじゃん
おもしろいから、たのしいじゃないか
たのしいから、うれしいじゃないか

そういうひとが、のっているのだろう
 
 

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October 07, 2005

カタチ

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最近の、たとえば自動車のカタチには、いささか、馴染めない
バイクの世界でもおなじだ、速さや強さ、つまり精悍さを強調した
まさにカタチだけの表面的な媚びたデザインが世を席巻している
例えば、単にツリ目にさえすれば容易く精悍さを手に入れられる
結果ひとが威圧を感じるなら、それは工業デザインによる暴力だ

自動車やバイクなどは、今現在まちがいなく必要悪なのだから
ひとがふとそのクルマを見ただけで、ほんのりうれしくなるような
なぜかたのしくなるような、さらなるなにかを期待させるような
必要悪として在るならば、カタチだけでも凛とした美しさのある
愛あるカタチを限りなく望みたい

それと、こういったことをつよく思うようになってきた、ということは
歳をとってきた、いよいよアタマが硬くなってきた証拠、でもある
 
 
 

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October 06, 2005

欲しいもの

its_your_life


いちばん欲しいものはなにか、と訊かれたら
まっ先に思い浮かぶものが、ここ最近ある

いまいちばん欲しいのは、師、だ
年齢や立場を突き抜けていく師だ

主観と客観のバランスが絶妙で
敏感さと物事に動じない心があり
賛辞や批判を冷静に受止めつつ
ユーモアといかがわしさを理解し
洗練さとどこか鈍臭さも感じさせ
何事に対してもどこまでもフェアな
とにかく先ずは他人を尊重していく
何よりもそういった自分を尊重する
権力や宗教や団体に依存しない

いっぴきオオカミな、師、が欲しい
さらにバックギャモンが出来るなら
これはもう最高の師だなぁ


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October 05, 2005

Communication Breakdown

communication_breakdown

 
 

わかりあえないひとへのちからでうごきだし
わかりあえるひととのちからでかそくする
わかりあえないひともときにはひつようだ
 
 
 

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October 04, 2005

あいさつ

aisatu


 


たったひとつの、あいさつ、から

ゆうじょうあいじょうたんじょうし

きぶんはじょうじょうそれいじょう


以上 
 
 

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October 03, 2005

想像力

imagine


想像力はそのまま創造力だ

想像力があれば価値あるなにかを創り出せる
たとえば喜怒哀楽そして真の友情や愛情さえも
想像力の欠如は、素晴